「――はい。橘です」
「あ、もしもし。橘さんのお宅ですか? 輝日東高校2年A組の絢辻と申しま――」
「あれ? 絢辻さん?」
「え? ……橘君?」
「うん。僕」
「なーんだ」
「……なんか、露骨に声色変わった……」
「何か言った?」
「いいえ。何にも」
「言ったでしょ?」
「いえ……」
「……」
「……」
「言ったわよね?」
「……言いました……」
「よろしい」
「……はぁ。――それで、どうしたの? 学校で何かあった?」
「『学校』? 違うけど……、どうして『学校』?」
「さっき『輝日東高校の』って言ってたから。それで……、そう。連絡網とか、そういうやつかと」
「あぁ……、うぅん。それはただ身分証明に言っただけ」
「そっか」
「――だいたい、何が起きるっていうのよ。お正月早々。学校、ほぼ無人じゃない」
「それもそうか」
「そういうお役目の話じゃな――、あ」
「うわ」
「〜〜」
「何の音? これ――」
「〜〜」
「何だって?」
「――あー、行った行った……、もう」
「あ、静かになった……、今の何? すごい音だったけど……、どうしたの?」
「ごめん。すぐ後ろをトラックが通って」
「あぁ……、って。『トラック』?」
「トラック。ちょっと怖かった。逃げ場のない感じって、イヤね」
「――絢辻さん?」
「何?」
「よく分からないんだけど……、そこ、どこ? 電話、どこからかけてる? 絢辻さん家からじゃないの?」
「ここ? ここは、外。公園。公衆電話から」
「『公園』?」
「公園」
「丘の上の――」
「そっちじゃなくて……、えぇと……、小さい方?」
「うちの近くの?」
「……うん、まぁ……、そっち」
「何でまた、そんなとこに。そんなとこから」
「……ちょっと、ね」
「『ちょっと』?」
「ちょっと」
「……」
「……」
「……そうなんだ」
「そう」
「――なら……、待ってて。そこで」
「え?」
「今行くから」
「え……、いいわよ別に」
「すぐ行くから」
「いいって言ってるのに……」
「じゃあ、後で……、あ、そうだ」
「何?」
「絢辻さん、あけましておめでとう」
「――このタイミングで言う?」
・
・
・
「――絢辻さん、お待たせ」
「本当に、すぐ来た……」
「そう言ったよ」
「それは……、そう聞いたけど」
「じゃあ、あらためて。あけましておめでとう」
「お、おめでとう」
「今年もよろしく」
「――うん」
「……」
「……」
「――それで……、えぇと。何だったっけ。『お役目の話』だっけ。絢辻さんの用事」
「……」
「絢辻さん?」
「え」
「どうかした? 用事って何?」
「……あぁ……、用事、ね。用事……」
「用事」
「……というか、あれは……」
「うん」
「『お役目の話じゃない』って言おうとしてて、そうしたら、トラックが来て」
「そうなんだ」
「うん」
「……」
「……」
「――あれ? 『お役目の話じゃない』?」
「遅い! 鈍い!」
「だ、だって……、え? ということは……?」
「……」
「お役目の話じゃないということは……、さ、さっきのはこ、個人的な電話!? 用事!?」
「――だったら?」
「え」
「プライヴェートな電話だったら、何?」
「う……」
「あたしがあなたに、私的な電話をかけたら、おかしい?」
「……」
「お・か・し・い?」
「お……、おかしくなど、ございません」
「だったらどうして、言葉に詰まったのかしら」
「つ……、詰まってなど、おりません」
「どうしてそんな言葉遣いなのかしら」
「い……、いつも通りでございます」
「いったいどういうことなのかしら」
「ど……、どういったことでも、ございません」
「そうなんだ」
「そうでございます」
「そーうなーんだー」
「そ、そうでございますとも……」
「……」
「……」
「ふーん」
「……う」
「ふぅうぅぅぅうううん」
「……うぅっ」
「……」
「――と、ところで結局、どんな用事? その……、『プライヴェートな』?」
「話を逸らした」
「すみません」
・
・
・
「大したことじゃ、ないんだけど」
「うん」
「というより、すでにわりと、済んでるんだけど」
「……?」
「何というか……」
「うん」
「……」
「……」
「……」
「……?」
「――どうしても、言わせるつもりね?」
「……え?」
「橘君」
「何?」
「――呼んだんじゃないわよ。用事の話をしてるの。黙って聞いてなさい」
「は……、はい」
「……」
「……」
「――橘君……、の」
「僕の?」
「……!」
「はい。すみません。黙って聞きます」
「……」
「……」
「……」
「……」
「――声」
「……?」
「……」
「……」
「――を……、その。ちょっと、聞きたくなったかな、と……」
「……」
「……」
「え」
「何よ」
「だって……、え? 僕の声?」
「そう」
「――を、聞きたくなった?」
「そう……」
「それで……、電話を?」
「……」
「公衆電話から? 外から? お正月に?」
「……こんな電話、ひとに聞かれたくないし……」
「……」
「……」
「……」
「な、何とか言いなさいよ! もう!」
「……」
「何そのゆるんだ顔!」
「絢辻さん――」
「何!?」
「初詣行こう」
「――は?」
「今から。初詣。ふたりで」
「み、脈絡ない……」
「あるある。脈絡ある」
「どんな」
「今日、元日だし。お正月だし。せっかく出てきたんだし」
「それで……?」
「だから初詣」
「……細い脈絡ね……」
「細くても、あるにはある」
「だいたい、『出てきた』って……、それは橘君があたしの話を聞かずに……、あたしは声だけで良かったのに……」
「じゃあ、行こうか」
・
・
・
「思ったより混んでるなぁ。さすがお正月……」
「屋台まで出てる」
「それで余計に混んでる感じ」
「本当」
「絢辻さん。あとで何か食べようね。お参りしてから」
「えぇ」
「何がいいかな……」
「――あ」
「うん? 何か食べたいもの、あった?」
「あれって……」
「どれ?」
「ほら、あそこ。あの屋台……、というか、クルマ」
「……」
「見覚え、ない?」
「ど、どうかなぁ……」
「いつだったかの、メロンパン屋さんのクルマみたい」
「あ、あんなだったっけ……?」
「確か」
「ちょっと……、違わない?」
「違わない」
「そうかなぁ……」
「人出を見込んで、出張してきたのね。きっと。ここでも行列作ってるわ。すごい人気――」
「――あ……、絢辻さんっ!?」
「何?」
「僕たった今思い出したんだけどっ。向こうに見えるあのタコヤキ屋さんのタコヤキって、もう絶品らしいんだ」
「……」
「すごく美味しい、って……」
「……」
「聞いたことが……」
「……」
「ある、ような……、ない、ような……」
「……」
「……」
「……」
「うぅ……」
「――橘君?」
「はい……」
「あれは、メロンパン屋さんのクルマです」
「……実は僕もうすうす、そうなんじゃないかなぁ、とは思っていました」
「よろしい」
「……はぁ……」
「どうしてため息をつくの?」
「……だって……」
「別に、それだけなのに」
「へ?」
「見たことのあるクルマがある、って言ってるだけなのに。食べようって言ってるわけじゃないのに」
「あ……、そ、そうなの?」
「そうなの」
「――なんだ……」
「あのメロンパンなら、食べたこと、あるでしょ? 何も今、ここでまた食べなくても」
「そ、そうか。そうだね。そうだよね」
「こんなにお店、あるんだし、何か他のものの方がいいな」
「うんうん。それがいいね」
「何がいいかなー」
「何にしようか」
「――なんて、ね。実はもう決まってるの」
「何?」
「タコヤキ」
「え」
「絶品とウワサの、タコヤキ」
「――そ、それは……」
「楽しみー」
「その……、メロンパンを避けるための単なる方便で……」
「すごいんでしょうねー。美味しいんでしょうねー」
「実際のところはどうなのか……」
「きっと、橘君――、ものすごいスピードで食べちゃうんだわー」
「え」
「美味しすぎて、どんどん口に入れていっちゃうんだわ。焼きたて熱々なのをものともせず、次々と」
「え、え」
「もう、丸呑み?」
「待って」
「あたし、お手伝いするわね――、そう。メロンパンの時みたいに」
「待って待って、ちょっと待って」
「あ、でも、ひとつくらいはおすそわけ、くれると嬉しいな」
「絢辻さーん!」
「本当に楽しみー。早くお参り、済ませちゃわないとー」
「ご、ごめんなさいっ!」
「……」
「方便とか言いましたけどそんなんじゃないですっ! 嘘ですっ! 嘘つきましたっ! 本当はタコヤキのウワサなんて聞いたこともありません――」
「――きゃ」
「お……、っと」
「……」
「……」
「ん……」
「大丈夫? 絢辻さん」
「うん……、ありがとう」
「怪我とか――」
「うぅん。押されただけだから」
「人混みの中で、立ち話してちゃダメか」
「そうね」
「……」
「……」
「……」
「――ねぇ……、橘君」
「うん……?」
「あたしが怒った、って……、思った?」
「え……」
「メロンパンから逃れるための方便に、あたしが怒った、って。そう思ったの? それで謝ったの?」
「えぇと……、どちらかというと」
「いうと?」
「嘘をつかれたことに怒った、って思った」
「――あぁ」
「ごめんね」
「うぅん。いい。――というか、怒ってないから。別に。そういうわけじゃないから」
「え……」
「あたしが……、そんなことで怒ると思う?」
「えぇと……」
「たかがメロンパンに? たかがタコヤキに? しかも、方便だってこと、見え見えなのに? そんなことで、このあたしが?」
「……」
「……」
「……」
「……怒りたくなってきたわ……」
「ああああああ思いません思いませんっ。絢辻さんがそんなことで怒るはずがありませんっ。というかすみませんっ!」
「馬鹿」
「失礼しましたっ」
「もう……」
「……」
「……」
「――じゃあ……、ということは……」
「……」
「さっきのアレは……、単に僕をからかってみただけ?」
「……」
「絢辻さん?」
「――そうでも、ないの」
「『そうでもない』……?」
「うん……」
「怒ったわけじゃなくて、冗談だったわけでもない……?」
「――あのね、橘君」
「ん……」
「あたし、嬉しいの」
「……?」
「嬉しいの。本当に」
「……」
「電話して、声を聞けて嬉しかった」
「……」
「それだけでいい、って思ってたはずなのに、声を聞いたら、会いたくなってた」
「……」
「だから、出て来てくれたの、嬉しかった。会えたの、嬉しかった。初詣に誘ってくれて、嬉しかった」
「――そっか」
「今だって、嬉しい。ここに来れて嬉しい。こうしてくっついてて、すごく嬉しい」
「――周りから視線が、わりと痛いけどね」
「だけど。だからこそ……、怖いの」
「『怖い』」
「こんなに嬉しいことばかりでいいのかな、って。こんなに幸せでいいのかな、って」
「絢辻さん……」
「だから……、あたし」
「『だから』……?」
「心のバランスをとりたくて、わざと不幸を背負うことにしました」
「……」
「いいところにメロンパン屋さんのクルマがいてくれたから。いいタイミングで橘君、タコヤキを話題にしてくれたから。それらを利用することにしました」
「……」
「正月早々、メロンパンの記憶を掘り返されて、さらには熱々のタコヤキを口に詰めこまれるだなんて、なんというアンラッキィ……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「あのさ」
「何?」
「それ。アンラッキィなの、僕だよね?」
「うん」
「『うん』って言った」
「でも、あなたの不幸は、あたしの不幸でもあるから……」
「いやいやいやいや。その理屈はおかしい。ちょっと聞く分には感動的だけど」
「……」
「絢辻さん?」
「……」
「――あ、笑ってる! 笑ってるでしょコレ! ちょっと!」
「橘君、ほら、歩かないと周りに迷惑よ?」
「絢辻さーんっ」
・
・
・
「……」
「……」
・
・
・
「――絢辻さん、何をお願いした?」
「あたし? あたしは、別に。何も」
「『何も』?」
「神頼みって、主義じゃないから」
「あぁ……、なるほど。納得できる」
「だから、あたしがしたのは……、うーん。強いて言えば、宣言?」
「『宣言』?」
「『神さま? あたしはこの、となりにいる橘純一君のことが、大好きです』」
「……!」
「……」
「……」
「……」
「……」
「――ねぇ……、いくら何でも、そこまで赤くなること、ないんじゃない?」
「だ、だって」
「今初めて聞いた、ってわけでもないでしょうに……」
「そ、それはそうだけど、こういうのはやっぱり……、というか、言ってる絢辻さんこそ、顔、赤いよ?」
「あたしのこれは、あなたにつられただけ。あなたがあんまり照れるから、あたしまで恥ずかしくなっちゃっただけ」
「うわ、そんなのずるい」
「ずるくなーい」
「……うぅ」
「ふふっ。――ね?」
「?」
「じゃあ、橘君は?」
「僕?」
「あなたは、何を願ったの?」
「僕は……、ありきたりなこと」
「『1億円欲しい』?」
「違う……、アホの小学生じゃないんだから……」
「……」
「……」
「……」
「えぇと……、まぁ確かに、アホはアホだけど……」
「認めてどうするのよ」
「……無言のプレッシャをかけられて、つい……」
「――で? じゃあ、何を願ったの? 結局」
「……」
「知りたいなー」
「――僕は、ね」
「うん」
「『絢辻さんと、ずっと一緒にいられますように』」
「……」
「分かってる。それこそ神頼みすることじゃないよね」
「……」
「でもこれは、何というか……、頼ろうとするつもりはなくて……、だから宣言かな。僕も。絢辻さんと同じ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「――ね? 橘君」
「うん……?」
「タコヤキ、食べに行きましょうか」
「こ……、このタイミングで言う!? というか覚えてた!?」
「覚えてたというより、思い出した、かな」
「思い出さなくていいのに……」
「何を他人事みたいに言ってるのよ」
「え?」
「思い出したの、あなたのせいなのよ」
「僕のせい――、って」
「なのにどうして、他人事なのよ」
「そ……、そんなこと言われても。――どういうこと……?」
「言ったでしょう? あたし、幸せすぎると怖くなるって。心のバランスをとろうとして、不幸探しを始めるって」
「――あ……」
「だから橘君? これからは言動に気をつけて。あんまりあたしを喜ばせないように……、いずれ、タコヤキじゃ済まなくなるから」
「うぇえ」
「ふふっ」
「……」
「……」
「……」
「――冗談よ? 半分くらいは」
「本気ってことだよね、それ。残りの半分は」
「うーん、まぁ、ね。だから、気をつけて――」
「大丈夫だよ」
「――え?」
「たぶん、大丈夫」
「何が?」
「慣れるから。いずれ」
「『慣れる』……?」
「うん」
「橘君が、ヒドい目に遭うのに、慣れる?」
「絢辻さんが、幸せに、慣れる」
「……!」
「怖くなくなる。そのうち」
「……」
「この感じが普通になる」
「……」
「ずっと一緒にいれば」
「……」
「――ずっと一緒にいるから」
「……」
「きっと、慣れる」
「……」
「そういうの、ある意味では、寂しいことかもだけど」
「……」
「でも、普通の毎日が、普通に幸せってこともあると思う」
「……」
「……」
「橘君……」
「ん……」
「タコヤキ、3パック追加ね」
「……多くない?」
「だから……、言動に注意しろ、って言ったでしょ?」
(了)