「だいたい、ねぇ……、そういう真っ当な理由があるなら、どうしてそっちを先に――、『その1』に挙げないのか、って話なのよ馬鹿。『歌って歩いてる方が楽しいから』とか言ってないで」
私は腰に手を当てている。
手を当てて、見下ろしている。
馬鹿を。
座りこんでいる馬鹿を。
*
言うまでもないコトだろうとは、思う。
でも……、念のため。
拳を握った私ではあったけど、しかし、馬鹿をブン殴ったりは、しなかった。
そんな、まさか。
はしたない。
するはず、ないじゃない。
ね?
そりゃ、そうしてやろうかって、カケラも考えなかったのかと問われれば、答は「いいえ」だけど。
考えました、だけど。
だけど……、
考えただけだし?
考えただけ、っていうのと、それを実行に移しました、っていうのとでは、やっぱり、雲泥の差があると思うし。
だから、
私は、セーフなのだ。
はしたなくないのだ。
うん。
*
ただし――、
まったく何もしなかったのかと問われると、これの答もまた、「いいえ」だったりするんだけど。
そんな、まさか。
ありえない。
せずにいられようはず、ないじゃない。
ね?
じゃあ、具体的には、何をしたのかっていえば――、
拳を握って、
あの馬鹿のほっぺたに、そっ、と当てて、
ぐりぐり。
そういうことなら、した。
「嘘だー」
声。
下の方から。
当の馬鹿の抗議だ。
「何が嘘よ馬鹿」
私はそれを見下ろす。
否。
見下す。
できるかぎり、冷ややかな視線を製造しながら、
「嘘なんかついてないわよ馬鹿。私はぐりぐりしただけよ馬鹿」
「違うー」
「何が違うか」
「ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり、くらいはしたー」
馬鹿は律儀に表現した。
――その片方のほっぺたが、真っ赤になっている。
*
うん……、
まぁ、馬鹿の言った通りでは、ある。
厳密には。
けど。
こういうことって、文章化に際しては、あまり厳密さを求めるものではないのだ。
冗長になるし。
いかにも幼稚っぽいし。
そういうものなのだ。
うん。
「都合のいいコトを言ってるー」
「うるさい馬鹿」
*
ところで。
馬鹿が座りこんでいる、っていったけど、それは別に、私のぐりぐり攻撃で受けたダメージが深刻すぎて、立っていられなくなったから、じゃない。
「いや、結構痛かったんだけど……」
何か聞こえたけど、
何にも聞こえなかったことにする。
「ヒドーい」
うーん。
聞こえないなぁ、何にも。
さておき――。
馬鹿が座っている理由。
それは、くりすけの手が届かないから、である。
ちびっ子ったら、馬鹿に「キュア」などかけてやったりしているのだった。
大げさだなぁ、とも呆れないでもない。
しかしその一方で、そんな手当てをいそいそと、小さな手でぺたぺたと、嬉しそうにやっているちびっ子の姿は、何とも微笑ましいものであったので、いいことをしたんだなぁ、私、と自画自賛ながら、しみじみとした感慨をいだきたくなったりしなくもない今日この頃である自分を否定できない私なのであった。
「都合のいいコトを言ってるー」
「うるさい馬鹿」
*
これで仕上げ、とばかりに、馬鹿のほっぺたに大きなバンソウコウをバツ印につける、くりすけだった。
「はい、できあがりです、騎士さま」
とても、得意気だった。
そんなちびっ子に、馬鹿は、
「ありがとう」
と笑ってみせるのだけれど、それがもう、よそいきというか、ネコをかぶっているというか、見た目だけは上品というか、輝かんばかりというか、極上というか、何というか、逆に憎らしいほどの笑顔で、くりすけなんかは、あわわわわ、と簡単に真っ赤になって、「こ、こちらこそありがとうございました」なんて、ワケの判らない返事をしちゃっていたけど、私はだまされないぞ、と思う。
何を思っているのか……。
それこそ、ワケが判らない。
「――じゃ」
と馬鹿の声。
私は我に返る。
馬鹿が立ち上がるところだった。
腰を払って、土や草のくずを落とし、放り出されていた盾を拾い、それも払って、それから、
棒も拾っていた。
茂み叩き棒。
さっきまでの、続きに戻るつもりのようだった。
「始めようか」
と、馬鹿。
「はいっ」
と、くりすけ。手まで挙げてるし。
「うん」
とは、ニーチェ。早くも楽器の準備をしている。
「……」
すずめ(ちゃんと、いるからね?)はうなずいただけ。
ただ、やる気は誰にも負けていないようではあった。矢筒から弾を抜いて、弓に軽くつがえるようにしている。
みなさん、非常に前向きのようだった。
馬鹿に対してはともかく、他のメンバに対しては、少し済まないと思う。盛り上がってるところに水を注すみたいで。
でも。
譲れない。
私はまだ――、
完全には、納得していないのだから。
そう。
思い出したのだから。
モグラ撃墜イヴェントの前に、私が唱えようとしていた、異議。
それが、どんなものだったのか。
「待って」
4人を呼び止める。
中でも、馬鹿を。
その、馬鹿。
「どりりんって……」
やれやれ、って感じのため息を漏らし、苦笑して――。
*
私の予想では、その後に続く言葉は、「しつこいね」とか、「往生際が悪いね」とかいう悪口、その類だった。
マイナス評価を、覚悟していた。
何しろ、食い下がっている自分自身、粘着質だなぁ、と呆れているくらいなのだ。
食い下がられている側にしてみれば、なおさらだろう。
そう。
私はそれを、自覚している。
自覚してはいても……、
性分なのである。
納得できないものは、納得できない。
受け入れられない。
許せない。
戦わずにはいられない。
許せる時が来るまで。
しかたない、じゃないか。
こんな私に誰がした?
何にせよ……、
私は、文句を言われるものだとばかり、思っていた。
いた、のだが――、
馬鹿はこう続けたものだ。
「どりりんの、そういう一途なところ……、素敵だと思う」
*
「な」
予想外だった。
予想外すぎた。
そうか。
「斜め上」ってやつか、これが。
どこか得心するものもあったりはして……。
――などと考えることができたのは、我に返った後のこと。
馬鹿の言葉を聞いてすぐには、私、空白だった。
……、絶句。
思考停止。
ぽかーん。
――で、あったことだろう。
「だろう」というのは、これは推測だから、である。
「たぶん、そうだったのだろう」。
当時の私は、私自身の状態を認識・記憶していない。
できなかったのだ。
空白だったが故に。
なので推測するしか、ない。
それは、厳しいことだった。
想像するに、その時の私の姿といったら、間違いなく、ガラスケースに入れて飾っておくべき馬鹿の見本・その2であったに違いないのであるからして。
――うぅ……。
――恥ずかしい……。
閑話休題……。
閑話休題!
私はしばし空白になっていた(と思われる)後、正気をとり戻した。
後追いで状況を認識しつつ、
――うぅ……、
それをむしろバネにする勢いで(そうとでもしないと、やってられない!)、問題発言をした馬鹿に詰め寄った。
「な……、何よそれ!? 『一途』!? 『素敵』!?」
馬鹿は――、
目を丸くした。
たじろいでいた。
「ど、どうしたの?」
何故驚く。
こいつ……、
判らないのか。
自分の発言が、どれほど不可解なものであったのか。
でも……、
判らない、ということがあるか? 普通。
ほんの少しも判らない、ということが?
「『どうしたの?』じゃ、ないわよ馬鹿!」
「……なんか、怒ってない?」
「怒ってるわよ馬鹿!」
「何で……」
「『何で』!? 『何で』と聞くか!?」
「だって理由、判んないし……」
――あぁ……。
そうか。
そうだ。
こいつは、馬鹿だったんだっけ。
そうだった。
こいつには、世間一般の常識というものを、求めちゃいけないんだった。
――私は、自分をコントロールする。
冷静に。
丁寧に。
「あのね?」
「うん」
「『一途』とか『素敵』とかいう言葉は、普通、いい意味で使うの。こういう場合には、使わないの」
「どうして?」
……。
「『どうして』って……」
「それなら、こういう場合こそ、そういう言葉を使うべきところじゃないかな、って思うけど?」
馬鹿は首をかしげた。
……。
「だって、まさに、どりりんっていいなぁ、って思ったからこそ、いい意味の言葉を使ったんだもの。
選択、間違えたつもり、ないよ?」
……。
判らないと言いたいのは、私の方こそ、だ。
何を言ってるんだ、こいつは。
「なのにどうして、私、怒られてるの って……、
それが疑問で、それで、『どうして?』なんだけど」
……。
馬鹿は――
本当に、不思議そうだった。
つまり、馬鹿なのだ。
私は、
アタマが痛くなってきたような気がする。
「あのさ……」
「うん」
ただ、認められるところは、認めておこう。
「そういうことなら――、
今がそういう場面だとするなら、確かに、語の選択は、それで間違ってないわ」
「でしょう?」
馬鹿は、ほっとした様子を見せた。
胸を張るような素振りも見せた。
にこにこしている。
「でも、どりりん自身もそう思ってるなら……、じゃあどうして私、怒られたのかな、って、やっぱり疑問なんだけど」
などと言っている。
私は、
腹が立ってきたような気がする。
「『どうして』って、ね……」
自分を、抑えられない。
――認められないものは、認められない。
――イヤなものは、イヤだ。
「そもそも場面がそうじゃないでしょって言ってるのよ馬鹿!
褒めるところかここがって言ってるのよ馬鹿!」
*
「だから、さ……」
疲れる……。
「うんうん」
対照的に、馬鹿は笑っている。
「……」
二回言うな馬鹿、とツッコむ気力も尽きかけている私である。
どうしてこいつは元気なんだろう。
笑っていられるんだろう。
馬鹿だからか。
だったら、馬鹿はいいなぁ。うらやましいなぁ。
生きるの、楽だろうなぁ。
世の中って、不公平だわ。
――気をとり直して……、
「あのね?
大前提として、ね? 常識として、ね?
『歌って騒いで』なんて作戦は、『ない』のよ。ありえないの。
――あくまで、一般的な話よ?
『常識』とか言っておくことで、単なる私個人の意見を、さも、世権一般の考え方のように見せかけようとしているわけじゃない。自己弁護してるわけじゃない。
――で。
けど、ね。
たとえそれが……、その作戦はありえない、ってのが、常識なんだとしても、よ?
そんな常識にこだわるとしても、限度というものがあるでしょ?
いくら何でも、私のそれは、尋常じゃないでしょ?
ちょっと、しつこすぎるでしょ?
一体どれだけ食い下がれば、話を引き延ばせば、気が済むのよって感じ、しない?」
するとここで――、
馬鹿の顔から、ふっと感情が消える。
「それ……」
ひどく――変な感じだった。
ひとを不安にさせる空気、とでもいおうか。
「何……、よ」
馬鹿は、こんなことを問うてきた。
「それ、誰かを訴えてる? 『引き延ばしすぎ』って?」
……?
意味不明だ。
「……どういうこと?」
馬鹿は笑った。
「判らないなら、いい」
それは、安心したかのような微笑。
ひとりで何かを気に病み、ひとりでそれを解決した――?
「何なのよ」
「気にしないで」
「気になる」
「いいから」
話すつもりはないらしい。
何なのよ、馬鹿。
*
とにかく……。
「とにかく、私がしてることは、決して褒められたコトじゃないの。その内容の是非にかかわらず、ね。
――なのに、あんたは私を評価した。
それは、おかしいのよ。ズレてるのよ。普通じゃないのよ。
どうしてなのよ。
そう聞いてるのよ、馬鹿」
うーん、と馬鹿はうなる。
「それは――、要するに、まさにそれが答、じゃないかな」
「……は」
抽象的すぎる。
そう思った。
思っただけでなくて、そのまま口にした。
馬鹿は答える。
「私は馬鹿で、普通でなくて、ズレてる。
場面選択の基準が、評価の基準が、一般のそれとは異なっている。
なので、常識的には、褒め言葉が出てくるはずのない場面で、それが出てきたりする。
そういうこと――、それだけのことじゃない?」
笑顔でもなくて、
真顔でもなくて、
怒ったわけでもなくて、
馬鹿はただ、普通の顔で、そう言った。
「……」
その通りだ、と思う。
それが正解だ、と思う。
そうだ。
だからこそ私は、この馬鹿のことを、馬鹿と呼んでいるわけで。
何のことはない。
質問するまでもないことだった。
私は最初から、ゴールに立っていたんだから。
これぞ、愚問というやつだった。
だけど……、
それでもなお、私は首を振る。
その答では、不可だ、と。
「そんな、ミもフタもない開き直り的解答は、認められない」
「ええー」
馬鹿は、はげしく不満げにした。
「何が『ええー』よ馬鹿。馬鹿だからって言えば、何しても許されると思うなよ馬鹿。馬鹿だというなら――馬鹿だといっても、馬鹿には馬鹿なりの馬鹿な理屈というものがあるでしょう? それを示せと言ってるのよ馬鹿」
「……どりりん、怖い」
「どりりんって言うなと何度言わせるつもりよ馬鹿」
*
自分で「示せ」と命じておいてなんだけど、馬鹿は果たして、馬鹿の理屈を示そうとはしなかった。
代わりに、こんなことは言ったのだが。
「私、思うんだけど」
思うな馬鹿、である。
この馬鹿の、『私、思うんだけど』の後に出てくるアイディアといったら、9割はロクでもないものだし、残りの1割は、とんでもなくロクでもないものなのだ。
言うな馬鹿、である。
しかし、
こいつは思うし、言うのである。
「私のロジックについて、これ以上追求したって、どりりんが得るところのものは、何にもないんじゃないかな、って」
ほら言った。
「思うなと言ったでしょ馬鹿。言うなと言ったでしょ馬鹿。『私のロジック』とか格好いい言い方するんじゃないわよ馬鹿。そのくせ内容は絶望的じゃないのよ馬鹿。しかもたぶんそれ的を射ちゃってるし馬鹿」
「的を射ってるんなら、馬鹿馬鹿言わないでほしいなぁ」
「射った的によるわよ馬鹿」
――本当に、何の収穫もない。
「よって、こんな話題は早々に見切りをつけるべきであり、とっとと本題に戻るべきである、と思うのよ」
「それをあんたが言うな馬鹿」
「――とは言うものの……、本題って何だったっけ。
脱線ばかりしてると、判らなくなりがちよね」
「だからそれをあんたが言うな馬鹿」
こんな結果。
知れていたことか……。
*
こうして――。
私たちは帰ってきた。
「何が疑問なの? どこが腑に落ちないの?」
紆余曲折を経つつも、再び、帰ってくることができたのである。
「作戦『歌って騒いで』の有効性については、さっき、実証されたと思うんだけど? どりりん」
――本題に。
そうだ。
これが本題だ。主題だ。テーマだ。
私は応える。
まずは、どりりんって言うな馬鹿、と。
私はこれを、何回言ってきただろう、と思いつつ、
あと何回、これを言わなきゃならないんだろう、とも思いつつ。
そして、答える。
「有効性については、認める」
馬鹿は微笑んだ。
「じゃあ――」
私はその先を言わせない。
「違う」
まだ、作戦を受諾した、と思われるわけにはいかないからだ。
これはあくまで――、
「認めたのは、結果だけよ」
そう。
まだ、そういうことにすぎないからだ。
「というと?」
「――過程が気にくわない、と言ってるの」
「結果さえ出ていればいい、と思わない?」
「思わない」
本当は、私も、どちらかといえばそっち――「結果が重要だ」派なんだけど。
今は、
今だけは、否定側に立つ。
――臨機応変に。
「そうなんだ」
「そう」
うなずくことで、強調する。
じゃあ、と馬鹿は、また言った。
何故か、何だか、楽しそうにしているのだ、この馬鹿は。
「じゃあ、気にくわない過程って?」
私は説明する。
異議を唱える。
さっき――のはずなのに、ずいぶん昔のことのような気がする――言いかけて、忘れてしまっていたこと。
思い出したこと。
「歌う必要、ないじゃない」
*
「敵に刺激を与える、というなら――」
私は視線で、馬鹿の手元を示す。
気づいたらしく、馬鹿は、それを胸元へ持ち上げてみせた。
「それ」。
茂み叩き棒。
「それで茂みを叩いてるだけで、いいじゃない。歌う必要なんか、ないはずだわ」
しかし馬鹿は首を振る。
「必要はある。理由については」
言葉を切った。
棒を小脇に挟んで、右手を空け、挙げてくる。
キツネの形だった。
「――『その1』として、既に言った」
「『歌っていた方が楽しい』」
「そう」
「じゃあ……、言わせてもらうけど」
「フムン?」
私は言う。
「それじゃ、楽しくなかったら、どうなのよ。
それが楽しくないひとは、どうすればいいのよ。
――そういうひとにとっては、理由として、成り立たないことになるじゃない。
作戦上、絶対に欠かせないことだっていうならともかくも……、歌わなくても、目的のメイン部分は達成可能なのよ?
理由とするには、薄弱すぎる。
そんな理由に、私は納得できない。歌えない」
馬鹿は――、
私としては、さすがに気を悪くするかも、でも構うもんか、くらいの気持ちだったんだけど、
感情面の変化を、まったく見せなかった。
素。
とても素なままだった。
とても素なままで、こんな案を提示した。
「じゃあ、こういうのはどう?
『どりりんは、歌わなくてもいい』」
そんな馬鹿の態度に――態度の変わらなさに、実を言うと、内心動揺していた私なんだけど、これに関しては、
「却下」
平静に斬り捨てることができた。
何故って、
無意味なのが、明らかだから。
周囲は、私たちを個人として認識しない。
「何だか知らないけど、楽しそうに歌いながら広場をグルグル回っている、愉快なパーティ」。
そんな風に、ひとかたまりで認識するだけ。
その認識は、私ひとり歌わないでいたところで、どうにか変わったりするものじゃない。
――無意味だ。
どりりんは――、と馬鹿は問う。
「周りの目が、そんなに気になるんだ?」
……。
何を言ってるんだ、こいつは。
「気になるわよ。普通気になるでしょう?
というか、気にしなさいよあんたも少しは。馬鹿」
馬鹿は――、
そっか、と微笑した。
――何故笑う。
「そっか……、気になるんだ」
――どうしてそんな、深い感動を味わってるみたいな口調。
「どりりんは、恥ずかしかったのね?」
「……そうよ」
――その通りよ。
「変な目で見られて、いたたまれなかったのね?」
「……えぇ」
だけど……、
何?
「きまりが悪かったのね?」
「……当然でしょ」
何だ?
「心底?」
「……心底」
――何だこの確認作業は。
では、と馬鹿は言った。
宣告するように。
「では、私の作戦は狙い通り、過不足なく、まさしく 100 パーセントの効果をあげていた、ということになる」
……。
な。
「――何、ですって?」
馬鹿は、
キツネの形の手から、親指を開いた。
立った指は、3本。
「歌って騒いでいた理由――その3」
中途半端に浮いている指が、2本。
それらは、きゅっ、ときつく曲げられて、手のひらにくっついた。
これは、何の形だろう。
――どうでもいいことを、考えている。
「それは――」
馬鹿の声は、笑っている。
喜びを隠しきれない、みたいな。
嬉しさをこらえきれない、みたいな。
それはそれは、幸せな武者震い。
「『どりりんが羞恥に悶える姿を、見たいなぁ』と思ったため」
――……。
*
馬鹿が――語っている。
「ほら、どりりんってさ。いつも堅いっていうか、強いっていうかさ」
……。
「とりつく島もない、ってやつ?」
……。
「だから、困ってるところとか、照れてるところとか、ちょっと見てみたいなー、って」
……。
「きっと可愛いんだろうなー、って」
……。
「ほっぺとか、耳とか、真っ赤にしちゃうんだろうなー、って」
……。
「そんなことを思っての、作戦『歌って騒いで』だったの」
……。
「心底恥ずかしかったそうだから、大成功……、ね」
……。
「こればっかりは、歌わなければ達成できないことでしょう? 歌う理由として、必然性として、根拠として、申し分なく強固といえる」
……。
「……」
……。
……。
「……」
……。
「……あー」
……。
「えっと……」
……。
「――怒った? やっぱり?」
……。
「ごめんね」
……。
「でも、私、どりりんのそういうところ、どうしても見たくて……」
……。
「……」
……。
「ねぇ……」
……。
「……」
……。
「あの……」
……。
「……」
……。
「……何か、言ってくれない……かなー?」
……。
「……」
……。
「ね?」
……。
「……」
……。
「――ほら、行数稼ぎしてるみたいだし?」
……。
「……」
……。
「あのぅ……」
私は、
ここで、応えた。
「時間だわ」
飛びつくような、食いつくような反応が、返ってきた。
「時間? 何の?」
馬鹿のその声は、あからさまに、ほっとしている。
馬鹿のその顔は、あからさまに、笑っている。
私はそれに、まずは同じく、笑顔で応える。
明るく。
私が笑ったせいか、馬鹿の笑顔は、もっと笑顔になった。
けど……、
私の、次の答。
「ブーストゲージが満タンになる時間だわ」
これを聞いたら、
「え」
馬鹿のやつ、青ざめた。
その笑いは、引きつった。
「えっと……」
――馬鹿め。
私は、そんな馬鹿から視線を外さないままに、
「ねぇ、ニーチェ?」
ニーチェに呼びかける。
優しく。
びくん、と跳び上がるように、空気が弾けた。
がたがた震えるように、空気がわなないた。
「な、何かな?」
と返事。横から。
「一曲、お願いできるかしら?」
「何を……」
「『猛き戦いの舞曲・ジェノサイド・リミックス』」
「――ははーん。
攻撃力増幅曲にブーストをかけて、効果アップ。
その上で、自分の攻撃にもブーストをかけて、さらに火力アップ。
そういうことね?
さっきまでの沈黙は、ブーストゲージを貯めるための時間稼ぎ。
そういうことだったのね?」
馬鹿は言った。
むしろ解説した。
「正解」
私は認める。
それを認めるのは、別にイヤじゃなかった。
正しいことならば、私はすぐにでも、認めることができる。
それが本当に、正しいことならば。
「――あのね、どりりん」
おずおずと、馬鹿は切り出す。
「何かしら」
「ごめんなさい」
馬鹿は謝った。
けれども。
そんなのは、もはや手遅れなのであった。