はぁ……。
ため息。
せっかく修行したのに。
「キュア」を使えるようになったのに。
ただ使える、ってだけでなくて、わりとそこそこ、何度も使えるようになったのに。
失敗することだって、(あんまり)なくなったのに。
「メディックです」と自己紹介するのには、まだまだ、気後れするものがあるけど……、でも、「メディック見習いです」くらいなら、胸を張って言えるくらいには、なったのに。
……なった、と、思う、のに。
はぁ……。
ため息。
私は、求められて、ない。
*
酒場。
ギルド。
執政院。
道具屋さんに薬屋さん。
求人票は、いっぱいあって。
「メディック急募」の文句が、特に踊っているものも、少なくなくて。
けど、ダメ。
どれもこれも、条件つきだった。
その条件が、私の前に立ちはだかる。
ずもーん、と、壁。
それでダメ。
「その条件」っていうのも、漢字にすれば、たったの5文字で、
つまり、
「要、実務経験」。
――あれ?
こういうのって、記号は文字数にカウントするのかな?
なら6文字?
どうでもいいか……。
とにかく。
「要、実務経験」。
こういう場合、「実務」っていえば、「迷宮の探索経験」のこと。
迷宮に潜って、敵と戦って、使えそうなものを拾ったりして、街へと生還したことがあるかどうか。
要するに、生き残る力、生き延びる力があるどうか。
私には、それがない。
だから、ダメ。
ううん――。
「ない」と決まったわけじゃないんだけど。
「ある」と証明できてないだけで。
「ある」と証明できればいいんだけど……。
でも。
そうするためには――実務経験を積むためには、迷宮に潜らないといけなくて、
だからといって、ひとりで潜るのは自殺行為で、
それなら、誰かとパーティを組まなきゃ、なんだけど、
誰かのパーティに加えてもらうには、
実務経験が要る。
それがないから、迷宮に潜りたいのに――。
しくしく。
輪が閉じちゃった。完結しちゃった。おしまいでーす。ここから先はありませーん。
――はぁ……。
ため息。
私は、求められて、ない。
求められてない私は、しょんぼり、求人票の掲示板の前から一歩、後ろに下がる。
すると。
足元に何か、あって、
それに、かかとでつまづいて、
「きゃ……」
背中の方へ、しりもちをつくみたいに転んで――、
けど、
実際には、そうはならなかった。
「おっと」
その前に、肩を受け止められたから。
背中を、支えられたから。
*
「大丈夫?」
私の耳に振ってきたのは、そんな暖かい声。
私の肩を、しっかりと受け止めていたのは、大きな手。
私の背中を、しっかりと支えていたのは、優しい腕。手甲を、はめてはいても――。
あ。
「ご、ごめんなさいっ」
うわぁ!
あわてて私は、跳んだ。ぴょんっ、と離れた。自分の足で立つ。くるっ、と回れ右しながら、その勢いのまま、頭を下げた。
がばっ、と。
――後ろにいたひとに、向かって。
そう。
「後ろにいたひと」。
私が転ばずに済んだのは、後ろにいたひとに、寄りかかったから。
しかも、どうして寄りかかることになったのかといえば、たぶん、そのひとの足か何かを踏んじゃったからなんだ。後ろ歩きしてて。
なんてドジ。
なんて失礼。
「すみません、ボーッとしてて、その」
頭を下げたまま、言い訳してると、
「いや、私は何ともないから、いいけど……。
貴女の方こそ、大丈夫?」
優しい声が。
さっき降ってきたのと同じ、優しい声が。私を気遣う声が。
悪いのは私なのに。
「私は大丈夫です」、そう言おうと思って、
顔を挙げると、
そこにいたのは、
金髪の、
騎士さま。
真剣な顔をしてて、
それは私のことを想っての顔で、
それがとても、凛々しくて、綺麗で――、
違うちがうちがう。
そうじゃなくて。
どきどきどき。
騎士さまは、真剣な顔をしてて、
あと、片腕を広げてた。
それは私を受け止めてた形。
私はそのぬくもりを、頼もしさを、知っていて――。
違うちがうちがう。
だから、そうじゃなくて。
どきどきどき、どき。
相手は、女のひとなのに……。
「あの、もしもし?」
騎士さまは言う。「大丈夫? いろんな意味で」
あぁ……。
心配をかけてしまってるみたい。
私の不注意なのに。
私の馬鹿。
ただ……。
それにしても。
そっか。
そうなんだ。
私ったら、肩、抱かれちゃったりしたんだ。
こんな綺麗なひとに。
どうしよう。
うふふ。
顔、ゆるんじゃうなぁ。
こら、私。喜んでる場合じゃないでしょう?
なーんて――。
「ぼーっ、としてるからよ馬鹿」
冷たい声が、騎士さまの向こうから、飛んできた。
私はまさに、冷水を浴びせられたような気持ちになる。
*
――その通りだから。
悪かったのは。私。ごめんなさい。
しかも、何だか浮かれちゃってて、浮かれすぎちゃってて、それも、ごめんなさいでした。
自分で、そう思う。
けど、
なのに、
「そんな言い方はないだろう」
騎士さまは、声の主に抗議した。
わぁ……。
どうしよう。騎士さま、私をかばってる。
かばわれちゃった、私。
嬉しい……。
違うちがうちがう。
そうじゃないんだってば。
そんな場合じゃないんだってば。
声の主は――。
こちらをにらんでて、女のひとで、
あぁ、
あの格好は、
ダークハンター。
ダークハンターは、恐い職業。
なら、このひとも、危険なひと。
何が危険って、
ドリル状に巻かれた、左右一対の高いお下げとか。
下着みたいなデザインの胸鎧とか。
おへそとか。
ローライズかつ、もの凄いミニなショートパンツとか。革製でぴっちぴちなの。
その上、完璧なことに鞭装備。
凄い格好。
私だったら、ちょっとできない格好。
恥ずかしくて。
そういうところが、危険――。
「貴女今、もの凄いこと考えてない?」
「い、いえいえいえいえいえ」
そんなダークハンターのひとに半目でにらまれて、思い切り首を振ったら、立ちくらみがした私です。そのくらい、左右にぶんぶんした。
「……なら、いいけど」
とにかく、とその危ないひとは、騎士さまに向き直って、
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪いのよ馬鹿」
ずばずば言った。
ヒドいひと――。
それでも、
騎士さまときたら、
「誰だって、背中に目はついてないよ。後ろに下がって、何かにぶつかることだって、あるんじゃない?」
なおも私をかばってくださって。
本当に、素敵なお方――。
「そんなの、当たり前じゃない」
「え?」
え?
「後ろが見えるひとはいない。そんなのは当たり前。だから――」
「だから前向いてる人間の方がぼーっとしてないでちゃんと気をつけなきゃいけないでしょって言ってるのよ馬鹿」
ダークハンターのひとは、ひと息に、言った。
騎士さまをにらんで。
「……」
「……」
そう。
ダークハンターのひとににらまれてるのは、私じゃなくて、騎士さまの方だった。
そうみたいだった。
なーんだ。
ごめんなさい、とか言ってたくせに、ほっとしてる現金な私です。
「――あぁ」
騎士さまも、ぱちぱちっ、ってまばたきしたり、なーんだ、って言ったりして、
「『馬鹿』って、私に言ってたのか」
あはは、なんて笑ってる。
お茶目なところもあるんだ。
意外。何だか親近感。
意外といえば、ダークハンターさんも、意外。
意外にも、見かけほど悪いひとじゃないみたい。
うん。
考えてみれば……。
騎士さまのお仲間さんなんだから(たぶん)。悪人なはずがない。
あ。
そうか。
もしかしたら、元は悪人なのかも。
で、騎士さまに懲らしめられて、改心して、それから騎士さまの人柄に惚れ込んで、仲間になった。
そうだそうだ。きっとそうだ――。
「貴女本当に、もの凄いこと考えて、ない?」
「いえいえいえいえいえいえいえいえいえいえ」
「やたら怪しいなぁ……」
ダークハンターさん、ぶつぶつ言ってる。
で、「とにかく」と騎士さまに向き直った。
「――当たり前でしょ馬鹿。他の誰に言うってのよ馬鹿」
「私てっきり、この娘さんに言ってるのかと」
「そんなヒドいコトするはずないでしょ馬鹿」
「そうそう。まさにまさしく、それ。なんてヒドいコトを言うんだ、って思ってたところ」
「私を何だと思ってるのよ馬鹿。初対面の、しかもこんな小さい子に向かって暴言吐くような人間だと思ってるのか馬鹿」
「正直、わりとそう見える」
「黙りなさい馬鹿。それ、あんたが私に馬鹿馬鹿言われてることについて言ってるのならまず自分の言動を反省しなさいよ馬鹿」
「はーい。これからは自粛します、どりりん」
「判ってないでしょっていうか判ってて言ってるでしょ馬鹿」
*
「何だかよく判らなくなってきたけど――」
騎士さまは、すまなさそうに言った。「何にしても……、ごめんなさいね。本当に」
「いえ、こちらこそ……、すみませんでした」
「ケガとか、ない? 足首ひねったり」
「ありません」
私は笑ってみせる。可愛い顔を作れていたらいいな、と思う。「大丈夫ですから、本当に」
そう答えて、私は、
ちょっと、つけ加えちゃおう、と思った。
騎士さまに安心してもらいたい、という気持ちが半分。
残りの半分は、
自慢……、とは少し違うような、
でも、結局はそれと同じコトのような、
私を認めてほしい、という気持ち。
「こう見えても、私、メディックですから」
少し、胸を張って。「たとえケガしてたとしても、ちょちょい、と治しちゃいます。自分で」
すると。
騎士さまとダークハンターさんとが――、
顔を見合わせた。
あれ?
私、何か変なこと、言っちゃった?
騎士さまがこちらを向く。
真剣な顔。
うぅん――、
これはむしろ、「切実」って顔?
そんな顔で、騎士さまは、
「お名前、聞かせてもらって、いいかな?」
と。
……えぇと。
首をかしげちゃった、私。
展開についてけなかった、みたいな感じ。きょとん。
私が答えなかったのは、ただそれだけの理由だったんだけど、騎士さまは何だか、違うように解釈したみたいだった。
表情を引き締めて、
ひざを折って、
目の高さを、自分と、私と、同じにした。
改まった態度。
「私はすにこ。小笠原すにこ」
「すにこ……、さま」
「さま、ってほどの者じゃないよ」
騎士さまの口元がゆるむ。苦笑のかたち。「で、こっちのダークハンターは、どりりん」
「どりりん」
「だからそのアダ名で呼ぶんじゃないわよ馬鹿。しかもひとに紹介する時に持ち出してくるんじゃないわよ馬鹿。そして真に受けるんじゃないわよ貴女も」
「では、貴女のお名前は?」
「聞きなさいよ馬鹿」
「聞かせていただけないかな?」
騎士さまの、薄いブルーの瞳が、
私の瞳を覗き込んだ。
息が止まってしまう。
苦しい。
「呼吸すると、いいよ」
息を吐く。はぁ。
楽になった。
「それは良かった。
じゃあ――、はい。お名前をどうぞ」
緊張。
自分の名前を言うだけのことなのに……。
うぅん、
だけのこと、じゃないよね。
判ってる、そのくらい。
さっきは、突然で、判らなかったけど。
今はもう、判ってる。
名前を言って、それで終わりには、ならない。
誘われちゃうんだ、私。
騎士さまに。
騎士さまのギルドに。
きっと。
だから、
緊張。
がちがち、ってなりながら、私は、
「クリス……、です。
――クリスティーナ・ケープケネディ」
「クリスティーナ・ケープケネディさん」
騎士さまに、
騎士さまの声で、名前、呼ばれちゃって、
びりびりきた。
耳とか、首すじとか、ひじとか手首とか。
しびれたみたい。
しびれたみたいになりながら、
「はい」
うなずいたら、
「と、いうことは……」
騎士さま、思案顔になった。
何が、「ということ」なんだろう。
疑問に思ってると、騎士さまは、その答を言った。
「略して『くりすけ』」
「要らんこと言ってんじゃないわよ馬鹿」
ダークハンターさんの握りこぶしが、騎士さまの脳天に、綺麗に入った。