実を言うと、呼ぶ声があることには、気がついていた。
それに私は応えなかったんだけど、何もこれは別に、ことさらに無視しようとして、そうしていたんじゃない。
ただ。
その「呼ぶ声」とは、「『他の誰か』を呼ぶ声」ではなく、「『まさにこの私』を呼ぶ声」である――。
そうだとは、考えてもみなかった。
単に、それだけのことだ。
誰か、違うひとを呼んでいるのだろう――。
そう思い込んでいた。
それだけのことだ。
要するに、名前が違ったのである。
私の名前は、トーコ(誰だ?)でも、エリコ(誰だ?)でも、ファインでもレインでもユーミルでもアーチャーコ(だから誰だ?)でも、ない。
だから、返事をしなかった。
それだけのことだ。
それだけだが、当然のことだ。
しかし。
呼びかけの声は、延々――、
延々と続いた。
続きまくった。
まくりにまくった。
馬鹿みたいに。
私の、すぐ後ろで。
いい加減、うるさくなってきて、私は、様子を見てみることにした。
呼び続けているのは、一体どんな馬鹿なのか、
それでも返事をしないのは、一体どんな馬鹿なのか、
ちょっと顔を見てやろうと思ったのだ。
店内を見回すふりをしつつ、ちらり、視線を椅子の後ろに投げようとして――。
すると、
後ろにいたひとと、ばっちり、目が合ってしまった。
そのひとは何故だか、何についてか、ひとり、納得した様子で、
「そっか……」
と言った。
その声は、
さっきからの「呼ぶ」声と同じもので、
つまり、
このひとが――、
もとい。
こいつが、
「馬鹿」
だったのだ。
「馬鹿」は、こいつだったのだ。
ということは……、である。
後ろを見た途端に、この「馬鹿」と目が合った、合ってしまった、ということは……、である。
その「馬鹿」が呼びかけていた相手とは、他ならぬ、この私。
そういうことになるわけだ。
そうなると……、である。
「呼びかけられまくっているのに、それでも返事をしない馬鹿」というのも、他ならぬ、この私。
そういうことにも、なるわけだ。周りのひと的には。
ところで……、である。
この時、脳裏をよぎるものがあって、それは、「好奇心、猫を殺す」というコトワザ。
そういうことにも、なったりしたわけだ。ワタシ的には。
わけだ、が。
しかし。
それらはみんな、どうでもいいことだった。
みんなみんな、些細なことだった。
この後の展開に比べたら。
*
――その「馬鹿」は、パラディンの格好をしていた。
パラディンのくせに馬鹿なやつというか、
馬鹿のくせにパラディンなやつというか、
どっちにしても――、
その「馬鹿」は言った。
「オチョーフジン、パーティ組まない?」
正直なところ、この申し出そのものは、渡りに船というやつではあった。
どうやらこの「馬鹿」がそうであるらしいように、私もまた、一緒に迷宮に潜ってくれる人材を求めて、この酒場に来ていたのだから。
しかし。
しかし、である。
いかに、たとえそうであっても、である。
誰でもいいわけじゃない。
いや、基本的にはそうなんだけど。
選り好みも贅沢も、しないつもりでいたけど。
でも。
それでも。
馬鹿はイヤだ。
馬鹿とパーティを組むのはイヤだ。
それはイヤだ。
それだけはイヤだ。
これは選り好みか? 贅沢か?
だって……、
死ぬよ?
馬鹿と行動をともにしてると、生き残れないよ?
文字通りの意味で。
しかも、だ。
そもそも誰なんだ、「オチョーフジン」ってのは。
まさか、私のことなのか。
私は「オチョーフジン」でもないぞ。
「――オチョーフジン、じゃないの?」
「馬鹿」は首をかしげた。
金髪が、さらっ、とこぼれて、それは綺麗だと思ったけど、
「違う」
「けど、『オチョーフジン』って呼んだ時に、こっち向いたよね」
あぁ……。
さっきの納得顔。それで、か。
それで、「私=オチョーフジン」という等式が成立した、と思って、だからあんな顔を。
そうか。
ふーん。
やっぱり馬鹿だわ、こいつ。
「……呼ばれて向いたんじゃない。しゃべり続けてるヤツがいるから、うるさいなぁ、と思って、それで見ただけ」
「あぁ、なんだ。そうなんだ」
「そうなの」
「そっか……」
「そう」
「じゃあ――」
「うん?」
「パーティ組まない?」
私は転んだ。
椅子から転げ落ちた。
どうしてそこでフリダシに戻るんだ。脈絡がなさすぎる。
こいつは、本当に馬鹿なんだ。
とは、いえ。
椅子に這い登りながら、私はこうも、思ってしまった。
ちょっと面白かったかな、とも。
興味を惹かれてしまったのだ。
馬鹿は、私も、か……。
まぁ、この「馬鹿」ほどではないにしても。
……そう思いたい。