あれから私は、猛勉強を始めた。
入試の季節まで残り4ヶ月を切った今になって、「大学に行きたくなった」というのも、何というか、これが他人の発言だったら内心、「受験をなめてる?」ってところだ――改めて考えてみると、凄いなぁ、自分。感心してる場合じゃないけどね。
余談。
その決定を光一に告げて、ついでに勉強を見てもらおう(何しろ3年生は既に教科書を卒業して、試験対策段階に入っている。その点、2年生はまだ「高校の授業」の現役)(という口実)とした時のこと。
光一の家。
光一の部屋。
久しぶり。
「下級生に勉強教わりに来ないでよ……」
どこからか用意された小さなテーブル。差し向かいの光一は呆れ顔だった。
「だから、それは説明したでしょ? 現役に教わった方が良さそうだし、って」
「一理、あるのかないのか」
「あるの」
「――はいはい」
やれやれ、って顔になって、光一は、「あのさ。まさかとは思うけど、1年生の範囲は菜々に聞こう、って考えてないよね?」
「……」
私は、
顔を背けてみた。
彼は察して、
「マジか」
期待通りの反応だった。笑顔で私は振り返る。
「冗談よ。いくら何でもそれは。そこまでは」
「だ、だよね」
あははは、と光一は乾いた笑い。
ふふっ、と私は応えて笑う。
そして、
付け加える。
「それも、まぁ、光一の教え方次第?」
「――摩央姉ちゃん」
絶妙の間で、どんより、ウラミガマシイ声が返ってくる。
思わず、吹き出してしまう。
「あはは」
楽しい。
幸せ。
――涙が出そうなくらい。
また、こんな風な仲に戻れるなんて。
戻ったどころか、進展してたりして……。
そんなことを思って、つい泣きそうになった。
何とか我慢。まだ、エンディングじゃないからね。
「凄い責任を背負わされた気がするなぁ……」
さて、半ば青ざめてる光一だった。「判ってると思うけど、あんまり期待しないでよ? 悪くはないつもりだけど、良くもないし」
ぶつぶつ言ってる。
私は人差し指を突きつけた。
「摩央チェックその1。『自信のない態度を見せない』」
「チェック――って」
光一、目を白黒。「それ、僕、全部クリアして、卒業したんじゃなかった?」
その指摘は想定の範囲内、ってやつ。古いか。
用意していた答を出す。
「小学校を卒業したら、中学校に入学するものじゃない?」
「――ステップアップしちゃったんだ」
「そんなことは、どうでもいいの」
突きつけた人差し指で、つん、と光一の頬をつつく。「残された時間は少ないの。頑張ろ?」
「いや、頑張るのは摩央姉ちゃん……」
ぶつぶつ光一。
それは確かに、その通りだ。
私は手を引っ込めた。始めよう。
教科書を出す。開いて内容に視線を落とす。
数学――。
じっ、と見られている気配。
「何?」
顔を挙げると、果たして光一が、私を凝視していた。「どうしたの?」
「いや」
光一は真顔。「ジンマシン、出ないなぁ、と思って」
言って、にっ、と笑った。
……。
「――摩央チェックその2」
私は怖い顔を作って、睨んでみせる。「イヤミなツッコミを入れない」
「ごめんなさい」
光一はすぐ、謝った。素直だ。
それでも、私は睨み続ける。
光一は逃げずに視線を受け止めて、
それは、
にらめっこみたいだった。
久しぶりというなら、これこそ久しぶり。
ふたりで吹き出したものだ。同時に。
余談のつもりが、長くなってしまった。
要するに、私は受験勉強を始めたということだ。
上のようなやりとりはあったけれど、この件に関してその後、私が彼を頼ることは(それほどは)なかった。
いや。頼りになりそうにないから、とかじゃなくて……。
私が、本当は甘えたい、頼りたいタイプであることを、彼は知っている。よりかかろうとしていれば、その期待に応えられるように努力して、ちゃんと支えてくれていたに違いない。うん。信じてるぞ、光一。
それでも――。
これは私の問題だ。
そう思ったから。
そんなわけで。
私と光一とが一緒に過ごす時間は、学園祭の前の、あの期間と比べれば、むしろ少なくなった。
ただしそれは、単純に長さだけを測れば、の話。
密度で比較すれば、また別だったりするのである。
一緒に下校する道程が、主なデートコースになった。
それも、寄り道することは、ほとんどない。真っ直ぐ家に向かうだけ。おしゃべりをするだけだ。
そのおしゃべりさえ、ない日もある。
けどそれは、話題がないとか、それで重苦しいとか、そういうことでは決してない。その反対。
何気なく光一の方を見ると、あっちもちょうど、私に視線を向けたところだったりするような。
くすぐったくて笑ってしまうような。
そんな感じの、帰り道。
ほら。
濃密だ?
今日も、「そんな感じ」だった。
途中までは。
公園のそばにさしかかったところで、微かな音を聞いた。べしっとか、びたんとか、やわらかい何かが倒れた音。
私は足を止める。光一の耳にも届いていたらしく、同時に足を止めていた。
何か聞こえたよね?、って同意を求めようとした矢先に、泣き声が響く。
公園の中からだ。
私たちは顔を見合わせる。
スルーしよう、ということにはならなかった。
泣き声の源を、目で捜る。
「あれかな」
タッチの差で、光一の方が先に見つけた。
「みたい」
そこには、小さな女の子と、男の子の姿。
女の子の方が泣いている。転んだのだろう。
そんな女の子に、男の子が何か言っている。内容はさすがに聞こえない。慰めてるのか、もしかしたら、「馬鹿だなぁ」とか言ってるのか。
ただ、私には、前者のように思えた。女の子の様子が、明らかに男の子を頼りにしている感じだったからだ。既にほとんど泣きやんでるし。
――というか。
あのふたり、単なる女の子、男の子、じゃなくて。
「兄妹かな?」
光一も同じように想像したみたい。
「たぶんね」
うなずく。
「大丈夫かな」
「すりむいたりはしてるかも、だけど」
「――助けに行くまでもない、か」
「うん。『お兄ちゃん』がついてるし」
言って私は、
光一を横目で見た。
この視線に、気づいたようだ。
ついでに、私が言いたいことにも。
光一は、兄妹(決めつけちゃった)の方を見たまま、尋ねた。
「……あんな感じだった?」
「あんな感じだった」
思い切り端折られてはいたけど、話題が行き違うことはない。
光一と、その妹・菜々ちゃんとについて。
そう。
ふたりはいつも、「あんな感じ」だった。
「だった」、じゃないか。今でも本質は変わってないはず。
まさに、今目にしているあの兄妹と同じ。
私も一緒に、3人で遊ぶことが多かったのだけれど、菜々ちゃんはいつだって、光一にべったり。「ついて歩く」を文字通りに実践していた。
そして――、
それを、光一は邪魔にしたりはしなくて、
だから、
私は、
菜々ちゃんのことが、凄くうらやましかった。
そうそう。
菜々ちゃんも、転んだことがあったっけ。
ま、小さい子が複数で遊んでいるのだ。そういう事故がない方がおかしいんだけど。
菜々ちゃんはやっぱり、泣き出して、
光一はやっぱり、慰めてた。
あの光景とほぼ同じ展開――。
……。
何だろう、この感じ。
何かが、引っ掛かった。
それから、どうなったんだっけ?
というか、
その時どうしていた?、私――。
そうだ。
登場人物の数が違うのだ。「ほぼ同じ」にはなっても、「全く同じ」になるということはない。
その時の私は――、
見ていただけ?
それはない。
3人の中で、一番年上の私。
お姉さんの私。
自覚は、既にあったはず。
それなりの振る舞いをしたはず。
「お姉さんは、そういう場合、それなりの頼れる振る舞いをするものである」。
そんな知識に従っていたはず。
当時から、私はそうだったのだ。
「頭でっかち」。
ともかく。
私は、お姉さんらしく振る舞ったに違いない。
「そういう場合」だったのだから。
……。
「そういう場合」?
どういう場合?
それは、つまり、
菜々ちゃんが転んだ、という場合で、
菜々ちゃんは、転んで――。
……。
転んで――すりむいていた。
……。
すりむいて――血だ。
ケガ、を。
……。
あ……。
……。
ケガをしたのは、膝小僧。
それを見た私は、こう言った。
お姉さんらしく。
「つばつけとけば、なおるよ」
これも、どこかで得た知識だったことだろう。
もっと言うなら、「ケガは、つばをつけておけば治る」という知識ではなくて、「ケガをしたひとを見たら、つばをつけておけば治るよ、と言うものである」という知識だ。
私はその知識に従った。
それで、菜々ちゃんのケガには、つばがつけられた。
誰の?
……。
光一の。
光一が、
泣いている菜々ちゃんをなぐさめて、
それから、
その、
膝小僧に、
直接、
口を。
――目の前がひらひらした。
「わっ」
びっくり。我に返る。跳び上がる。
「摩央姉ちゃん?」
ひらひらの正体は、光一の手。
「何よ、いきなり」
驚いてしまったことが、何故か恥ずかしい。
怒って誤魔化す。
ひらひらさせた手を、中途半端の高さのまま留めた光一は、
「いきなり、でもないんだけど……」
「え」
急に、じゃない?
「――呼んでた?」
「呼んでた」
首を縦に。「でも、何だか『自分の世界』」
「……あは、は」
決まり悪い。今度は笑って誤魔化す。
でも、思い直した。謝ることにした。「ごめん」
「いや、ごめんってほどのことでも……」
すると何故か、光一の方までも、決まり悪そうになって、「ただ単に、ずっとここに立ってたら変だろうなぁ、って、そう思っただけで」
まさか、こんな形で答を知ることになろうとは。
自分でも、ずっと疑問に思っていた。
あの時、どうして――、
候補のひとつとして、「膝小僧」を挙げてしまったのか。
考えるまでもない。本来ありえない選択肢だ。
耳よりも、おでこよりも、ほっぺたよりも、それどころか、唇よりも無茶だと思う。それこそ今――晴れて恋人どうしになった今ですら(今だからこそ、かも)、生半可なムードでは許せない、難易度の高いキスだ。
よっぽど盛り上がっていれば、また別だけど……。
それくらいに無茶。
そんな選択肢を、どうして私は挙げたのか。
その答。
光一が菜々ちゃんの膝小僧にキス(では、ないんだけど)をした――なんて思い出、さっき掘り起こすまで、あったことさえ忘れていた。記憶の底だった。
なのに。
それを、いいなぁ、と、
うらやましい、と思った気持ちだけは、
ふとした拍子に、口からこぼれ落ちるような、
そんな近いところに、ずっと引っ掛かっていた。
そういうことだったらしい。
これが答か。
そんなに、
ずっと、
気にしてたんだ。
そんなにずっと、
好きだったんだ。
――怖いなぁ、私。
くすっ、と息が漏れた。
「どうしたの?、摩央姉ちゃん」
聞こえたようだ。光一は尋ねる。その声には薄く、焦りの色。当たり前かな。隣で、自分の世界に入られちゃったり、脈絡もなく笑われちゃったりしてれば、ね。
「なんでもなーい」
「……怪しいなぁ」
「いいから」
「――はいはい」
苦さ半分、諦め半分、「しょうがないなぁ」って微笑の光一。
私は――、
その腕を、とった。
「摩央姉ちゃん?」
それに身を寄せる。抱きつく。しがみつく。
「何、なに?」
肩に頬ずりするみたいに。
もっと近くへ。
「どうしたの?」
光一の鎖骨に、おでこを当てる。
「摩央姉ちゃんってば……」
ぴったりくっついた。
その状態をキープしながら、私は顔を挙げる。
すぐ、そば。
とても、近く。
光一の顔。
「ね」
「うん……?」
「キス、しよっか」
光一、目をぱちぱち。
「どうしたの、本当に……」
「別に? したくなっただけ」
からかおうというのも1割、ないでもないけど。
残りの9割は、本当にキスしたくなったという気分。
何だか、
盛り上がってしまったのだ。自分の中で。
冗談で言ってるんじゃないことを示すために、私はかかとを浮かせた。顔を近づける。
目を閉じて、
唇を、ほんのちょっとだけ緩めて、ん、と差し出した。
待つ……。
けれども、
そうして待っても、ねだったものは、来なかった。
土踏まずのあたりが厳しくなってきた。
かかとを下ろす。
目を開けると、光一の困った顔。
「……摩央姉ちゃん。ここ、道端」
「うん」
「うん、じゃなくて――」
困ってる。
そりゃ、困るだろうなぁ。
判っていて、私は、
それでも、つまらないと思う。
もっと、困らせたくなった。
実行。
「ひどい」
「――え」
いかにもな台詞を、わざとらしい声色で言ったのに、光一はたじろいだ。
「自分は、ついこの間まで、私が――」
思いついて、言い直す。「――おねーちゃんが、いくらダメって言っても、キスしようとしてきたくせにー」
半目。ふくれてみせる。
「……うっ」
光一、ダメージを受けてる。後退り。
離れそうになる、追いかけて、またくっつく。
「他人の目がたくさんある教室でも、廊下でも食堂でも校庭でも、ところ構わずに」
「うぅ」
「問題だというなら、誰も居ない保健室のベッドのそば、なんて方がむしろ?」
「うぅう」
「それどころか、水泳の授業の直後で、水着姿のまま、ずぶ濡れなままのおねーちゃんをつかまえて……」
「うぅうう」
ここで、にっこりと私、
「――何か、弁解することは?」
「ご、ございません」
「じゃ・あ」
同意に至ったとみて、さっきみたいに爪先立ちになった私を、しかし、光一はまだ押しとどめる。
「待って待って待って」
「何よぅ」
かなり、つまらなくなってきたぞ。
既に 10 割がた、本気になっちゃってる、かも。
「摩央姉ちゃん、本当にどうしたの?」
「どう、って……」
どうもしない。
「何かあった?」
何もない。
ただ、
目の前のあなたのことが大好きなだけです。
――なんて考えて、また吹き出す。
あぁ。
浮かれてるなぁ、私。
光一の顔に、疑問符がいっぱい浮かぶ。
「――あ、あのさ」
「うん」
「その、もしかして」
「うん?」
光一は深刻な顔だった。
「受験勉強のストレスとか、そういうの、ない?」
「……」
何を考えてるのかと思えば。
見当違い。ないとは言わないけど……。
なるほど。
光一の目には、摩央姉ちゃん、重圧の末にご乱心、と映ったか。
「ないよ。大丈夫」
これは否定しておく。
「なら、いいけど」
口ではそういいながら、光一は納得していない表情。
強がりだとか、考えてる?
「――心配、なんだ?」
「当たり前だろ」
あ。即答。
ちょっと怒ってるみたい。
そっか。
心配なんだ。
悪い気はしないかな――。
いや。
正直に言おう。
嬉しい。
凄く嬉しい。
甘えてもいいよって、言ってくれてるんだ。
「大丈夫」
改めて、真剣に答えようと思ったのに、どうしても頬が緩んでしまう。「そんなのじゃないから」
「本当に?」
「本当に」
「――それなら、いいんだけど」
「本当に、ストレスとかじゃないよ」
「うん」
「そうじゃなくて――ただ、キスしたくなっただけ」
「……」
「だから、他意はないよ」
体重を、預けるようにして、「光一」
光一は、ふぅ、とため息ひとつ。
それから、やっと笑った。
苦笑いだけど。
「それ、他意があるとかないとかって問題じゃないと思う」
「だって」
そうなんだから。どうにもできな――。
「判った」
……。
え?
「――ちょっとだけ、だよ?」
年上みたいな口調になって、光一は言った。軽くかがんで、アスファルトに鞄を立てている。底の金具がアスファルトに当たって、音を立てた。
どきん。
心臓が跳ねる。
光一――キスするつもりだ。
私が、自分で、ねだったんだけど。
どきどき。
光一が、フリーになった両手で、私のほっぺたを包む。
「……あ……」
どきどきどきどき。
それだけで、もう、いっぱいいっぱい、だ。
なのに、
「ちょっとじゃ、ヤだ」
何故か強がってしまう私だった。
「ダメ」
目の前で、
まさしく目の前で、
光一はたしなめるように言う。「ちょっとがイヤなら、なし」
「うー」
「どっちにしようか?」
主導権が入れ替わってしまった。
けど、
こういう風になりたかったんだ、私は。
光一に手を引かれてみたかったんだ。
「……じゃあ、ちょっとで、いい」
それでも、強がる私だった。
光一、笑いを噛み殺してる感じ。
ちょっと、面白くない。
ちょっと、面白くなくて、
とても、大好き。
ほっぺたを包む手に、かすかに力がこもった。
それが、合図。
どきどき。
私はかかとを浮かせる。
頑張らないと、浮かなかった。
喉を反らして、
目を、閉じる。
どきどき――。
一瞬だった。
この上なく、一瞬だった。
ちゅっ、と触れて、離れて、
「はい、おしまい」という声が聞こえて、
温かかった頬が、涼しくなって、
すぐ近くにあった気配が、遠ざかって、
私は目を開けた。
光一が、鞄を拾い上げるところだった。
「帰ろう?、摩央姉ちゃん」
浮かせていたかかとが、落ちる。
まさか予告通りに、ちょっとだけで終わるとは思わなかった。
がっかり。
しょんぼり――。
……。
嘘だ。
まだ触れられてるみたいに、どきどきしている。
まだ爪先立ちしているみたいに、フワフワしている。
あんな、一瞬のことだったのに――、
私は、それだけで、
確かに、嬉しくなってしまったのだ。
動けなくなってしまったのだ。
少しくやしい。
固まっている私の手を、ほら、と光一は握った。
「あ……」
それがまた、びりびりと痺れるみたいな感じ。力が入らなくなってしまう感じ。
「行こう?」
私はこんなになっているというのに、
どうして光一は平然としていられるのだろう。
不公平だ。
かなりくやしい――。
……。
あれ?
違うかも。
光一、平然としてない。
してる振り、だ。動きがかたい。装っている。
だって、耳が真っ赤。
無理してる。
私、かな。
私のせい……。
違う違う。どうしてそこでネガティヴ。
そうじゃなくて。
私のために――そう、そっちだ。
実は甘えたがりの私が、気兼ねなく甘えられるように、
安心して頼れる存在であろうとしてるんだ。
私は、
動けるようになった。
ぎゅっ、と光一の手を握り返す。
「摩央姉ちゃん?」
光一の肩が、ぴくん、と震えるのを、私は見逃さなかった。
やっぱり、無理してたんだ。
私のために。
「うん」
きっと、今までで一番素敵に微笑むことができたと思う。「帰ろう?」
「――摩央姉ちゃん」
「なに?」
「……」
「?」
「あのさ」
「うん」
「……」
「何よ」
「その……提案というか」
「提案」
「そんな大げさなものでもないかな。単なる思いつき。ちょっと無神経かもだから、ダメならダメって遠慮なく言ってくれていいことなんだけど――」
「ぎゅーっ」
「――痛たたた」
「回りくどい。内容をいいなさい、内容を」
「いくら摩央姉ちゃんの握力でも、そんな力任せにされたら痛いって……」
「早く」
「えぇと、ね――。
デート、しよう?」
「……え?」
「あぁ、うん、判ってる。受験勉強、大変なのは知ってる。いや、本当に知ってるのかと聞かれると弱いんだけどさ――時間、惜しいんだよね?」
「……」
「だから、デートといっても、一日使って遊びに行こうとかじゃなくて、寄り道の豪華なバージョンというか。少しだけ、学校帰りに時間、もらえないかな」
「……」
「気晴らしになればいいかな、と。結局、近場をぶらぶらして終わりになっちゃうと思うけど。この頃は、そういうことさえご無沙汰だし――あ。それが不満とかじゃなくてね」
「……」
「えっと……」
「……」
「あ、あぁ。そうそう。もちろん、摩央姉ちゃんに行きたいとこがあるなら、そこに行くよ」
「……」
「行けない――行ってる場合じゃないなら、断ってくれて全然構わないから」
「……」
「……」
「……どう、かな」
「――ははーん」
「え」
「さては、遠慮なくキスしていられるシチュエーションを用意しよう、って計画ね?」
「う――い、いや、そんな風に言ったらミもフタも」
「でも、要するに、そういうことでしょ?」
「えぇと、まぁ。それは、その」
「ぎゅーっ」
「痛たたた」
「認めなさい」
「……」
「……」
「……はい、その通りです」
「よろしい」
「……」
「……、とりあえず、ね」
「うん」
「何度もいうけど、大丈夫、だから」
「……、うん」
「勉強、まだそんなに追いつめられてないし?」
「……それはそれでこの時期、問題があるような」
「ふふっ」
「笑いごとかなぁ……」
「……」
「……」
「……大丈夫だから、本当に」
「――うん。判った」
「で――キス、ね」
「!」
「もっとゆっくりしてたいな、とは思う」
「!!」
「――驚くこと?」
「いや……言われたら、驚くと思うよ。普通」
「そうかな……。あー、そうかも」
「そうだよ」
「それで――えぇと」
「うん」
「キスしたいのは、本当。けどそれは、ストレスで壊れかけてるからじゃない、というのも本当。歯止めが利かなくなって、あらぬことを口走ってるわけじゃないよ。心配はご無用」
「……なら、いいけど」
「まぁ、今のところは?」
「そこで、不穏な付け足しをしないで」
「でも――」
「うん?」
「三日後ぐらいには壊れかけてそうだから――その時、デートしてくれる?」
「何その妙に具体的な精神状態のスケジュール」
「だって、今日これから、というにはもう中途半端な時間だし、だからって明日というのも急だし。明後日は遠いし」
「摩央姉ちゃん……」
「うん……」
「三日後っていうものは、一般的に言って、その『遠い明後日』の更に次の日のことで、ムジュンしてるよ。大体それ、精神状態関係な」
「ぎゅーっ」
「痛たたた」
「冷静なツッコミをありがとう」
「ありがたいなら、握りしめないでほしい……」
「――遠すぎる楽しい予定を、どきどきしながら、指折り数えて待つのって素敵だと思わない?、ということよ」
「……摩央姉ちゃん」
「光一……」
「三日後って、そんなには遠くないと思」
「ぎゅーっ」
「痛たたた」
「それで、行きたい場所のリクエストも、受けつけてくれるんだったっけ?」
「できる範囲で。――行ける範囲で、かな、時間的に。どこか、あるの? 行きたいとこ」
「うん」
「どこ?」
「えっと……。
屋上、でもいい?」
「……屋上?」
「うん、屋上」
「……って、学校の?」
「そう。学校の」
「何でまたそんな、いつでも行けるところに」
「いいじゃない」
「いいけどさ」
「――あ。ほら。いつでもっていうけど、帰り道に寄ったことはないでしょ?、屋上」
「そりゃ……まぁ、寄るも何も逆方向だし」
「なら、珍しい場所といえなくもない」
「無理矢理こじつけてない?」
「……」
「……」
「ぎゅーっ」
「痛たたた」
「私の行きたいところは?、って聞いたのは、光一」
「聞いたけどさ」
「けど?」
「――やっぱり、近くない?」
「うん。近いね」
「というか、近すぎない? もうちょっと遠くても」
「いいのよ。屋上がいい」
「……」
「……」
「……、あ……」
「何?」
「やっぱり、寄り道してる時間、ない?」
「――あぁ。そっちの意味にとっちゃったか」
「?」
「違うわよ。そんな後ろ向きな理由じゃない。むしろ逆」
「逆?」
「……」
「……」
「……言わせるつもり?」
「え。な、何でそこで含みを持たせる。――言ってくれないと判んないよ」
「……聞きたいんだ。私の口から」
「え、え」
「屋上がいい理由。ポジティヴな理由。こじつけじゃない理由」
「え、え、え」
「言わせる気なんだ――」
「え――っと」
「いじわる」
「ま、摩央姉ちゃん?」
「――屋上がいいというのは、そこが、光一が私のことを、好きだって言ってくれた場所だからです」
「……!」
「……」
「……」
「ぎゅーっ」
「痛たたた」
「――何か言ってくれないと、恥ずかしいでしょ」
「い、言われた方はもっと恥ずかしいから、それ!」
「あぁ……、光一に恥ずかしいコトバを言わされちゃった……」
「何その誤解を招く表現」
「じ、じゃあ、屋上だね? 三日後にね?」
「うん。それで」
「……」
「……」
「……」
「ありがとね、光一」
「いや、大したことじゃないし」
「うぅん。楽しみよ」
「摩央姉ちゃん……」
「本当に、楽しみ――。
気持ちいい風が吹いてる、誰も居ない夕暮れの屋上。告白された時のことを思い出しながらの、ロマンチックなキス、かぁ……」
「……」
「ね?」
「待って。天候と他人の行動ばっかりはどうにも」
「ぎゅーっ」
「痛いってば」
(了)