【艦これ】ケッコンカッコカリ記念日の叢雲

 執務室のとなりは資料室という名の物置になっている。
 コイン所持数が上限に達し、開けるのも無為となった家具箱各種サイズやら、何となくもったいなくて未使用のままのプレゼントボックスやら、毎月まいつき海域一ノ五や二ノ五や三ノ五の制海権を獲り返してはもらう勲章やら、ふとつけてみた大型建造の記録(出なさすぎて百三十回分にもなった艦娘のとか、それに追いつきそうな現在試行中の艦娘のとか)やらが納められて雑然とした、しかし狭くはない部屋である。
 鎮守府、お昼過ぎ。
 僕はその資料室にいる。
 ストーブを持ち込み、空気を暖めている。
 今からここに来る駆逐艦娘・叢雲のためである。
(もう適温かな……)
 戸口へと歩き、廊下に顔だけを出して僕は、
「叢雲ー」
 執務室に呼びかけた。
 かちゃり……、
 できるだけ抑えんとされた音。
 視線の先で、扉が奥へと沈む。
 叢雲の顔が半分だけ覗いた。何だか可愛い。
「準備できたよ」
 言うと、彼女はうなずいた。
 こくんこくんと二回。
「素早く」ではなく「あわてて」といった、要領の悪さのある勢いで。
 その顔がいったん引っ込んで、
 間。
 ひと呼吸、ふた呼吸……、
 突如、叢雲が執務室から転がり出る。
 その場で反転。
 ドアの施錠を試み、
 けれども震える手、腕、身体。
 鍵が鍵穴に、なかなか差さらない。
 がちんがちんがちんがちん。
 金属音の連打。
 その硬い響きが彼女を、なお焦らせるようだった。
 がちんがちんがちんがちん。
「落ち着いてー」
 僕は動かず、応援だけ。
 彼女がこちらを見る。
 こくんこくんこくんこくん。
 すごいうなずいている。泣きそう。
 それでもついには鍵は差さり、叢雲はいかにも力任せにそれをひねる。
 がちゃり。
 ロック。
 即、鍵を引き抜きつつ彼女は、こちらへと走り出す。
 もつれているその足。
(これは転ぶぞ……)
 その通りになった。
 目の前で、叢雲。
 この資料室に入ろうと方向転換。
 そこでバランスを崩した。
「きゃ……」
 倒れ込んでくる。
 部屋の中へ。
 僕の胸へ。
 扉を開けて、待っていて良かった。
 もちろん、抱き止める。
 叢雲からも、しがみついてくる。
 その、荒く激しい呼吸。
「頑張ったね。頑張った」
 ねぎらっても、
「……」
 返事ができないくらい、はーっ、はーっ。
 代わりのように、またも何度もうなずいている。
 僕の制服の胸のあたりを、両手でつかみ、握りしめて。
 そんな必死さがいじらしくて僕は、彼女の髪に口づける。
 背中を軽く、たたく、たたく――。
 さて。
 首をかしげている方も、多いと思われる。
 たかが部屋から部屋への移動に、何故こんなに行数を割いているのか。
 叢雲は何故、切羽詰まった様子なのか。
 それは――、
 すなわち、彼女が、現在。
 すっぽんぽんだからです。

    ◇

(なるほど……っ)
 全裸なら、そりゃ叢雲だって施錠に手間取りもしよう。
 走りもしよう。
 転びもしよう。
 それを文字通りの意味でも精神的な意味でも受け入れるなら、髪ちゅーや背中ぽんぽんに派生しても不思議はない。
 あと、ストーブの用意も当然だ。
 うむ。
 なんと順当な。
 叢雲がそもそも何故、日中の庁舎内環境に素肌を曝露しているのか、むしろ何故していられるのか。勤務中なはずの時間、公共のっていうか公務の場所で――、というのはこの際、不問にしようじゃないか。
 と納得できるひとがいたら怖いので順番に説明していきます。
 数日前のこと。
 僕たちは、対策を練っていた。
 来たる二月十四日――、
 つまり今日のことなのだが、その日は僕たちの、初めてのケッコンカッコカリ記念日。
 どう過ごすべきだろう、と。

【一】せっかくである。特別なことをしたい。旅行とかデートとか食事とかしたい。
【二】しかし司令官や秘書艦という立場上、鎮守府を留守にするのは難しい。
【三】妥協案。当日、出勤はしよう。
【四】ただし待機の形で。
【五】府の運営はあらかじめ決めておいたスケジュールに沿って行われるものとする。よほどの事態が生じない限り、もしくはこちらからから要請しない限り執務室には誰も、同フロアにも立ち入らないこと。

(これが精一杯かな……)
 すると叢雲が言い出したものである。
「そ、そ、それじゃ、それなら、だったら……っ」
 おずおずひかえめに。
「わ、私っ、やってみたいことがあってっ」
 しかし決意の表情で。
 かつ、早くも期待に満ちあふれた眼差しで。
 ――まぁ、勇ましかったのはそこまでで、
「何かな?」
 訊いてみたら、
「……」
 途端に叢雲、それはもうもじもじだったんだけど。
 困ってみたり、いきなり笑ってみたり、「引かない?」と怒ってみたり。
 その末に、とうとう発表されたのが、
(白昼の露出プレイ……)
 このことであった。
 僕は――、
 引くどころか、いっそ感心した。
(さすが、叢雲……)
「全裸」て。
 いったい誰が言い出せる?
 どれほどの覚悟があれば?
 この会議。実は夜、ふたりきりでお布団の上、本格的交戦に先立つ小競り合い(※いやらしくならないよう配慮した比喩表現です)フェイズにて開かれたものだったりするのだが、それでも。
 そんな場であってさえも。
 踏み切れる者は、ほとんどいまい。
 叢雲――、
 恐ろしい子ッ。
 ところで。
 もしかして、まずここから説明が必要だったろうか。
 既知の情報として話を進めてしまったが、うちの叢雲について。
 彼女、なんと――、
 オシオキ的なことに目覚めてしまっているのです。
 恥ずかしいことをされたり、させられたり、言われたり、言わされたりするのが大好き。そういったプレイを、これまでいろいろとしてまいりました。台本まで書いてくるんですよ叢雲。こういうキャラクタ設定(例・お姫さまとその教育係)でこういうふう(例・お姫さまのツンツンな態度に業を煮やした教育係の下剋上。姫が泣いて許しを請うても罰の手をゆるめない。だが次第に姫はゆるめないことを請うようになり――、えらい長くなってしまった)に責めてほしい、みたいなのを。
 彼女が新境地を拓いてしまったいきさつや、実際にどんなことをしてきたのかについては、第一話『Mは叢雲のM』などでどうぞ。「第一話」というからには数話あってそれぞれやたら長いです。頑張ってください読むの。ネット上にも発表済みです。さておき。
 彼女はかねてから、
(人目のある時間帯における……)
 それと、
(全裸での……)
 プレイに、興味は持っていたのだそうだ。
 しかし、曰く、
「だって日中は仕事だし……」
 という「デスヨネー」的理由や、
「み、見られるかも、っていうのは怖くて、恥ずかしくて……、その、えぇと、あ、アレなんだけどっ。本当に見られるのは、それは別の話だからっ。嫌だからっ」
 という複雑な乙女心的理由により、おねだりを控えていた。
 ここで「アレ」とはどういうことなのかは察するべきであって追及すべきではないと確信するが、ただこれだけは言っておきたい。
 叢雲、つけ加えてくれました。
「あ、あんた以外には、ってコトよ? 分かるわよねっ?」
 ――えぇ。
 一瞬でキラキラ状態ですよ僕。
 全身から輝くパーティクルが噴き出しまくるのを自覚できました。周囲に枯れた花でもあったらたぶん蘇生してたと思う。ともかく。
 そんな折、めぐってきたケッコンカッコカリ記念日。
 もうお分かりだろう。
 今日は――、
 今日こそは。
 切望を、しかもふたつ同時に叶えることのできる唯一の日。
 この機を逃すわけにはいかなかった、ということです。

    ◇

「どうだった?」
 感想を求めてみる。
 顔を上げた叢雲は、
(愚問だった……)
 そう思わせるに足る目をしていた。
 瞳孔に、鮮明に浮かんだハートマーク。
 これテンション高いやつだ。
 そんな彼女が、何やら答えようとして、
 けれども、まだ荒い呼吸に邪魔されて、
 時期尚早だったか。
「すぐじゃなくていいよ」
 言うと叢雲は、何とも素直にうなずいた。
 そのために息を止めねばならなかったらしく、ため息。
 はーっ。
、からの、深呼吸。
 大きくすーっ、はーっ。
 繰り返し。
 それが次第に落ち着いていく。
 そして叢雲はごくり、生唾を呑みこんで、
「すごかった」
 報告してくれた。
 抽象的だった。
 それがかえって、興奮をよく伝えていたのだけれど、
「……」
 当人は不満らしかった。
 もっと上手に表現したげな、言葉探し顔。
 しかし、
「――すごかった」
 結局、出てきた台詞は一緒で、
(あ、同じコト言っちゃった)
 このはにかみである。
「そっか」
 無邪気さに僕の口元も、自然にほころんでしまう。
 知らず、手が動いた。
 叢雲の髪を撫でる。
 彼女がうっとり、目を閉じる。
 前段にて叢雲は「覚醒」してしまっている旨書いたが、それは決して、褒められるのは嫌うということを意味しない。
 どちらも、大好き。
 見た目はクールであっさり淡泊。
 ところが中身は欲張りで情が深くこってり濃厚。
 叢雲とは、そういう娘。
 話を戻そう。
 嬉しそうに、また安心しきって撫でられるままになっている彼女に、こちらもどんどん嬉しくなっていく。
 だが、
「――!」
 急に叢雲ははっとする。
 目尻をより赤く染めたかと思うと、うつむいてしまう。
 我に返ったらしい。
(小さい子みたいに甘えちゃってた……)
 とか、
(あやされちゃってた……)
 とか、
(私、裸……)
 とかあらためて状況を認識し、恥ずかしく――、
 ごん。
 頭突きが来た。
 そのまま、おでこで押される。
 ぐいぐい。
 駆け引きなどない、力任せ。
(照れ隠し……)
 攻撃っぽい形をとるのが、いかにも叢雲らしい。
 ぐいぐい、ぐいぐい。
「こらこら」
 たしなめるも、ぐいぐいは止まらない。
 仕方ない。
 対抗しよう。
 腕に、力。
 ぎゅっとする。
 すると――、
「ぐいぐい」は、止まった。
 僕の服をつかんでいた叢雲の手がするり、下りていく。
 指先が腰から背中へと滑る。
 そこで爪を立てた。
 爪を立てないようにして。
 ムジュンしているけれど、要するに、
「……」
「……」
 ぎゅっと、し返された。
 その腕の、細く柔らかな感触――、
 もはや、
 見守る立場ではいられない。
「――そんなに『すごかった』?」
 確認する。
 他意マシマシに。
(明るいうちから廊下で全裸、なんて行為が……?)
 ニュアンスはきっちり伝わったようだ。
 叢雲は肌をピンクに染め、顔を僕にくっつけたまま、いやいやと首を横に振った。
 これは、
(言わないで言わないで)
 拒絶にして、
(もっともっと)
 同時に、催促。
 だから僕は応える。
 応えたい。
「むらくも」
「――」
 彼女がのどを鳴らす。
「うん」どころか「ん」にもならない返事。
 僕は続けた。
「そろそろ戻ろうか」
 執務室に。

    ◇

「え」
 叢雲が顔を上げる。
 きょとんとしていた。
 ふだんのツンツンした表情も、主に夜に見せる、デレデレにとろけた表情もいいけれど、こういった素の表情も叢雲は素敵だと思う。余分な力が入っていないというか混じりっ気がないというか。
 ごくふつうな雰囲気が。さておき。
 予想済みの反応だった。
 というより、そんな顔をさせるために言ったのだ。
「ん?」
「う……、うぅんっ。別にっ。別に何でも……っ」
「――あ……」
「!」
「ひょっとして、ここでしたかった? 今すぐ?」
 この意地悪につなげるために。
「そ、そそそ、そんなコト……っ」
 視線を外し、みるみる真っ赤になる叢雲だった。
(いくらでも赤くなるなぁこの娘は……)
 楽しんでいたら、
「――ない……っ、ことも、ない、けど……」
 カウンターが来た。
「!」
 しまった。
 深追いしすぎた。
 まともに喰らってしまった。
(叢雲の得意技……)
「技」というか傾向というか。
 彼女には直球勝負を避けつつも嘘もつけず、最終的に認めてしまうところがあって。
 で。
 その様子が、僕には特効なのです。
(ごっそり、もってかれたぞ……)
 あぁ……、なんかこの部屋、暑い。
 ――ま。
「もってかれた」というなら、とっくにそうなんだけど。
 ひと目見た時から。
 ともあれ、白旗である。
「ごめんごめん」
 叢雲の頭を、かかえ寄せる。
 僕の心音を聞かせるように。
 彼女の抵抗はなかった。
 わずかながら、ほおずりのような動きさえ感じられた。
 それを「お許し」と解釈して、
「それもいいと思う」
 僕は本意を明かしていく。「けど、ね? 叢雲」
「……」
 返事はない。
 でも、彼女は聞いている。それが、分かる。
 続ける。
「もう一度廊下を、今度はふたりでゆっくり歩いたりしたら」
「――!」
 叢雲が、
 ぴくり、反応を示した。
「たぶん、さっきよりどきどきすると思うんだ」
「『さっきより』……」
 かすかなオウム返し。
 呆然としたような。
「その後で『した』ら、今するよりすごい」
「『すごい』……」
「きっと」
「……」
「どっちにする?」

    ◇

 降参したわりには性懲りもなく、答えにくい二択を提示し口頭で選ばせようとしているっぽく見えるかもしれないが恐らくそれは幻覚でしょう。そんなことより。
 本題に入ろう。
 そう――、
 いつものパターンで恐縮だが、ここまでは前フリである。
 重要なのは、ここからだ。
 叢雲の返事は果たして、ぽそりと消え入りそうながらも、
「も……、戻ろう、かしら……」
 だった。
 このように。
 彼女は、目先の損得に囚われない。
 真に達成すべき目標を見失わない。
 道中の勝利は捨てても、ボス戦でのそれを選ぶ。
 戦略的視点の持ち主――、
 これほどの器を「改」止まりにしておく手があろうか。すぐにでも「改二」が用意されるべきである。
 今回言いたかったのは、このことだ。
 毎回同じコト言ってるけどね。
 いや本当そろそろ頃合いじゃないですかね。

    ◇

 すでに資料室を出ている。
 ストーブの火を落とし、施錠し、廊下を歩いている。
 叢雲とふたりで。
 フルヌードの彼女の薄い腰に、片腕を回して。
 非常に歩きにくい。
「お散歩」も数多してきたが、こんなにも歩きにくいのは初めてだ。
 ほとんどカニ挟み状態なのである。
 立ったまま、平行に近い角度でかけられたカニ挟み。
 片足を叢雲のひざとひざ、どころか内ももと内ももとに、横から挟まれている。
 加えて、
 挟まれた足に、じっとりと冷たさ。
(水分……)
 それで一歩進むごとにズボンの生地が、太ももに貼りついては剥がれる。
 ぺたり、ぺたり。
 妙な感触。
 そのことを――、
 水源となっていることを、当人も分かっているらしく、
(どうしようどうしようこれどうしようマズいわどうしようシミになっちゃってるわ絶対どうしよう司令官気づいてないはずないわよね……)
 そんな迷いが腕に、身体に伝わってくる。
 できるだけ密着しようとする力と、おへそから下を、少し離しておこうとする力。
 せめぎ合い。
「――叢雲」
 僕は呼び、
「ひゃいっ」
「いいから」
 跳び上がらんばかりの彼女を、強く抱き直す。
「で、でもっ。でもでもっ」
 しがみつきつつも腰だけは引けているという不自然な体勢で叢雲は、おしりをふりふり、もがき、語尾を濁す。
(濡れちゃってるから……)
 とは言えないらしい。
 では、
 こちらから宣告しなくては。
 宙ぶらりん状態の、容赦ない打開。
 そういうのにも目がないのが、叢雲だから。
「叢雲」
「!」
 彼女が身をすくませる。
「大丈夫だから」
「!!」
「それに――、床に滴ったら、そこに跡が残るから」
「!!!」
 がばっと顔を上げたその目には涙。
 それをこらえようとしている口元。
(やっぱりバレてた……っ)
 そんな表情――、
 にもかかわらず。
 こらえきれなくなって現れるのは、微笑なのだ。
 酔ったような、
 ぞくぞくと来たような、
 ゆるゆるの。
 求められたものを、提供できたようだ。
 良かった良かった。
 僕も嬉しい。
 嬉しくて――、
 もっとサーヴィスしたくなる。
「――行こうか」
「ん」
 かすかな同意を受け、僕は歩き出す――、
「って、司令官……?」
「ん?」
「どこへ……?」
「だから執務室」
「そうじゃなくて……、なんか、窓の方行こうとしてない……?」
「うん」
「や……、やっぱりっ! だめっ! それはだめっ!」
「そう? 外とか、見てみない?」
「みみみ見ないっ! ていうか無理っ! 窓とか無理っ!」
「何で。何が」
「外からも見えちゃうっ!」
「頑張ってみない?」
「頑張るとかじゃなくてっ!」
「窓枠に足、乗せてみない?」
「ま……、『窓』っ!?」
「に、足」
「そそそそんなのっ、そんなの絶対無理っ!」
「『絶対』」
「絶対っ! ま、丸見えじゃないそんなのっ!」
「目、輝いてるけど」
「違うしっ! 輝いてないしっ!」
「見た感じ、らんらんとしてるように見える」
「してないっ! してないもんっ!」

「もん」出ました。

「じゃあ……、興味は? やる/やらないは別にして」
「……」

「ない」出ませんでした。

                    (了)