【艦これ】Mは叢雲のM

 静まりかえった夜の鎮守府庁舎の廊下を、叢雲とふたりで歩く。
 一歩、また一歩と少しずつ。
 そのようにしか進めないのだ。
 彼女に、腕にすがりつかれているからである。
 腰の引けている彼女に。
 太ももと太ももとをこすり合わせるような、じれったい足取りの彼女に。
 アイマスクをしている彼女に。
 服装はいつも通りで、ただ「下」は着けていない彼女に。
 といっても黒のストッキングのことではない。それは彼女、穿いている。当然だ。それを外すなんてとんでもない。何故なら黒スト(※省略した)といったら脚を覆い引き締めて形を整えたり、その成果を、ある時には輪郭も美しいシルエット的に突きつけたり、ある時には太ももやふくらはぎでは伸びて肌を透かし、一方ひざ裏やくるぶしでは不透明を貫き、表面にはテクスチュアを反映してざらりとしたボケ足を帯びるツヤテカにまぶしいハイライトを走らせて、立体感や曲面感を強調しつつ表現したり、また、ふだんは隠れてしまうところでさえ、他とは大きく異なる造りを取り入れることでいざという時の当該部分の重要性の円滑なアピールの必要に備えていたり(酷い文で分かりにくいと思うので具体例を挙げて説明しよう。下腹部の色濃い生地とかセンターラインのような縫い合わせ目とか、前者はつま先にも採用されているようだけど、ああいうのってなんかココロ惹かれるものがあるよねー、見せられちゃった日には辛抱なんかできないよねー、的な意味合いである)してくれるという、何とも配慮の行き届いた、「出来ておる」設計の、いっそオーパーツといっても過言ではない素敵アイテムだからである。これほどのものを使わないという選択肢があるだろうか。まぁ、なくもない。あるのかよ。だってナマ脚だって素晴らしいし、デニール値大きめで起伏に追従しない、早い話がまったく透けないタイツだって素晴らしいし、ニーソだってハイソだって短いのだって素晴らしいじゃないか。長々と語っておいてブレているぞ。最初は「とんでもない」とか言ってなかったか。とにかく。
 黒ストについてである。叢雲の黒ストについてである。
 彼女はそれを、ちゃんと穿いている。
 ところが、それでもやはり、「下」は着けていないのだ。
 いったいどういうことなのか……?
 ここは読み流さず、しっかり検討し、実態の想像・把握に努めていただきたい。さて。
 そういった具合なためいろいろと頼りなく、よちよち歩きなど披露している叢雲なのだが――、
「し……、司令官? どうしたのかしら」
 当人に問いかけられた。いつの間にか立ち止まっていたようだ。
「も、もしかして、誰か……?」
 僕の返事を待たず、彼女は重ねて訊いてくる。いかにも人目を恐れ、あせっているような台詞、仕草。シチュエーションからして当たり前だ、と思う向きはあるだろう。しかし。
 その顔(今は口元しか見えないけど)は嬉しそうに笑って、というよりぶっちゃけだらしなくゆるんでいたりするのである。
 その声は、うっとりねっとり甘ったるく熱く荒い吐息混じりだったりするのである。
 そう。この散歩を、彼女は楽しんでいる。
 叢雲、実は「見られたい」タイプなのである。
 そこで僕は肯定する。周囲に何の気配もなくとも、
「あぁ、何か物音がしたような」
「こ、こんなところ、見つかってしまったら」
 すると彼女はぞくぞくっと肩をふるわせた。あぁ、喜んでいる。喜んでいるところを見ると、さらに喜ばせたくなる。
「ふつうにしていれば大丈夫」
「こんな格好で、『ふつうに』だなんて……っ」
 叢雲のしがみつく力が増した。身体を押しつけられる。無理な注文こそ彼女の好み。これもお気に召したようだ。良かった。
「だったら」
 続けよう。僕は彼女の背中に腕を回した。抱き寄せる。
「きゃっ」
 悲鳴とともに倒れ込んでくる叢雲を胸で受けとめる。
「こうして顔を隠せば」
 言うと彼女は、僕の心音を探るようなほおずりをして、アイマスクの顔を上げた。
「う、後ろ姿でも……、みんなすぐに分かるわ……、あれは叢雲だ、って……」
 そうだろうな、と僕も思う。
「そうかな」
 でもとぼけて、叢雲の制服をつまんだ。追撃である。軽く引っ張り上げる。
 丈の短いワンピースでそんなことをしたらどうなるか、しかも下は――、という話。
 腕の中の叢雲の身体が果たして、きゅっと縮こまる。
「だ、だめ、見えちゃう、見えちゃうわ……っ」
 もじもじおしりを振っている。何とも幸せそうだ。かつ、もっともっととおねだりのご様子だ。期待にはこたえたい。
「僕には見えない」
 分かっていてわざと、とり違えてみせた。台詞の内容自体は本当だけど。そして、それで残念だという気持ちも。ともあれ。
「違うの違うのっ、司令官には見えなくても……っ」
 叢雲はもがき、否定した。説得力というものにまるで欠けた、もはやトロけきった声で。どうやらコンボはつながっている。このまま続けていこう。
 ただ、ここはあえて、
「じゃあ、そうならないうちに早く戻ろうか」
 彼女の本音ではなく、建前の方に応じた。
 つまり、「ほら、歩いて」とうながすために。
 そのわき腹からあばらへと、指先を伝わせるために。
「ひゃんっ」
 効果は絶大だった。前かがみの姿勢から叢雲は、反射的に身体を弓なりにそらして跳びあがった。
 彼女はそこが弱いのである。特に、致命的に、知覚過敏級に弱いのである性的な意味で。軽くなでられただけで簡単につま先立ちになる。ちなみに「弱い」イコール「嫌」ではないので気をつけてほしい。むしろこの刺激には彼女、目がないくらいだ。現に、身動きできないようにされてから羽根ボウキの先の柔らかい部分で触れるように、あるいは突っつくように長時間にわたりくすぐりまくられ、いろいろゆるゆるだだ漏れにしながら失神に至るのは彼女の大好きなプレイのひとつである叢雲すごい。

    ◇

 いや違う。違うんだ誤解である誤解なんです。話を聞いてくださいこれは別に叢雲をいじめているわけではなく……、あ、えぇ、まぁ確かに行為はそれそのものですがそこに異論はありませんが、でも実質が違うんです。これは突き詰めれば結局ご褒美なので。彼女ここ最近絶好調で戦闘のたびにMVPを獲るんですよ。もうレベル九十九なんだし正直自重してほしいとは思いつつ、それでも得意げにしているのを見るとやっぱり可愛いので誉めたく――、「そんなことは訊いていない」? ごもっとも、ごもっともですそうですよねだったらどうしてひどい目に遭わせているんだどうしてそれがご褒美になるんだおかしいじゃないかという話ですよね。でもうちの叢雲に限ってはそのムジュンが成立してしまうんですだって彼女ってば目覚めちゃっていますからお仕置きされることに本当なんです信じてくださいそんなにあせってたらかえってあやしいだろ。
 取り乱した。失礼した。僕としたことが。落ち着こう。というかそんなことより叢雲の話をしよう。どうして彼女は「覚醒」してしまったのか――、
 数カ月前のことだ。当時、鎮守府の雰囲気はどん底にあった。
 羅針盤の不調のせいである。海域の攻略は滞り、その行き詰まり感はいつの間にか、全体へと波及してしまっていた。何だかやることなすことうまくいかない、と。
 そんな折、良くないことは重なるもので、叢雲はミスを犯してしまう。
 といっても、深刻なものではまったくない。僕へのお茶出しの際に手を滑らせ、デスクへの湯飲みの着地が、いつもより幾分か乱暴な形になったというだけのこと。
 ひやっとするその光景と衝突音とに僕などは、ついつい「あ!」と(たぶん)珍しく声を上げてしまったのだが、その場ですぐ、この反応は大げさすぎたと分かったものだった。何しろ湯飲みが倒れることも、よって中身がどばーと広がることもなかったのである(さすがに少しはこぼれたが)。当然、お茶による直接の被害は軽微どころかほぼゼロ。僕も叢雲も火傷などしなかった。書類や筆記具も無事だった。
 平常運転時であれば、次のように締めくくることができていただろう。結局のところ、台拭きひとつで何も起きなかったことにできる、僕がムダにあわてていささか恥ずかしい思いをしたにすぎない、事故ともいえぬ日常のひとコマだった――、と。
 けれどもこの時は、状況が状況だった。
 ささやかなうっかりを「これまでの自分には考えられない失敗」に、他意のない単なる驚きの声を「受けたことのない叱責」にそれぞれ曲解させ、受ける衝撃をいたずらに増幅させてしまう環境が整って(?)いた。
 ゆえに「これにて一件落着」とはならず、それどころか叢雲は――、
 何やらびりびりっと甘くしびれるような感覚を味わうことになった、らしい。
 いやその理屈はおかしいと理性的に断ずるのは容易なことだが実際そうだったというのだから仕方ないのであるそうそう仕方ない仕方ないわっはっはそれはともかく。
 不思議な気持ち良さを知り、覚えてしまった彼女は、報告の必要のないような細かな不具合さえ言いに来ては注意を求めるようになり、ついには罰を請い始め、当初は軽く頭をこつん・でこぴん・手のひらを定規でぱちん程度だったのがどんどんエスカレート、だからっておしりを叩かないで恥ずかしいとか、後ろ手に拘束して床に転がすなんて酷いとか、そのままお皿のミルクをなめろなんて愛玩動物あつかいじゃないとか、椅子のひじかけに足を開いて縛りつけて執務室のドアに正対させて放置するなんて誰か来たらどうするのよとか、台詞だけ聞くとあたかも僕が鬼畜な行為におよんでいるかのようだが実はコレ全部まだ誰も何も言わないうちから叢雲がひとりで勝手にしゃべり出すことなので要するにプレイの提案にほかならず、ぶっちゃけ若干ウザ面倒くさい子ッと思わなくもないけれどそれ以上に拒絶と称する事実上のおねだりをする時の彼女の様子といったら羞恥に悶えおびえてみせてるけどソレ期待感隠しきれてないよね今夜はどんなコトされてしまうのかしらどきどきって顔してるよねって勢いなので可愛いやらしあざとたまらないことこの上なく、ガードとかできないのです。いつもの強く凛々しく冷静で偉そうな態度とのギャップがすさまじいのよコレが。
 ちなみにそれでは本当に何かやらかして(今日は調子がいい気がする、よぉしこのマップのボスを沈めるぞ、という意気込みで出撃させたのに最初の戦闘ポイント、敵の砲撃一打目で旗艦一発大破を食らった、とか)しまった場合はどうなるのかというと彼女、ヘコみきった様子で「ごめんなさい……、今日はお仕置きは我慢するわ……」とか言い出します。気持ちは分かるけどなんかおかしいよ叢雲。

    ◇

 そろそろ本題に入ろう今までのは前フリか。もちろんである。そうでなかったらアブノーマルな趣味の告白でしかないよコレ。
 確かに叢雲は、ちょっとアレな感じになった。それは間違いない。今だってほら、庁舎内一周恥ずかしがらせツアーを終えて執務室に戻ってきたところなんだけど、部屋に入るや否や床にへたり込んでしまった彼女のアイマスクを外してみれば、ネジの一本外れてしまったようなでれっでれに惚けた笑顔と、にもかかわらず「次は? 次はどうするの? これでおしまいじゃないんでしょう?」と催促する目とが大登場って寸法です、ほいっ。もはやちょっとどころではないのかもしれない。だいぶアレなのかもしれない。いずれにせよ。
 しかし、しかしである。
 おかしな行為に存分に溺れ興じて心機一転した翌日の叢雲ときたら、士気は有頂天にも程があるといった勢い、笑顔はキッラキラにまぶしく輝かんばかり、出撃させれば彼女につられて高揚したメンバとともに(時には失敗もあるものの)おおむね何らかの戦果を上げて帰ってくる――、そんな活躍を、見せてくれるのだ。
 これもまた、厳然たる事実。
 すなわち、停滞ムードなど、すでに遠い過去の話ということだ。
 鎮守府を覆っていた重い暗雲は、とっくにすっかり払拭されている。
 叢雲の力に、存在によって。
 このように彼女は、秘書艦という立場にふさわしい働きをしてくれている。伊達に目覚めてしまってはいない。
 言いたかったのは、このことだ。
 それにしても、なるほど、叢雲である。まさにまさしくムラクモではないか。
 これが本当のクラウドブレイカー。
 オチの選択を盛大にミスった自覚はあります。

                    (了)