DOWN TO HEAVy greEN 18

■ レンジャー・すずめ(続き)

 クリスさんの測定も完了する。

 見ていて、クリスさん、起きたら残念がるだろうなぁ、悔しがるだろうなぁ、と思った。

 ニーチェさんにすら、身体に巻き尺を巻かれてしまう、そうして体型を明確な数値で表現されてしまう、あのちょっといけない感じを楽しんでいたフシがあったのである。

 クリスさんに至っては、フシがあるどころではなく、どうやら、「騎士さま」すにこさんと、とてもいけないことを、どんどんしまくりたいという積極的な願望があるらしいわけで、となれば、今回の一件は、彼女にとって、待ってましたといわんばかりの理想的妄想的詩的私的素敵展開のひとつだったはず。
 もしも彼女に意識があったならば、「測定を楽しむ」の度合いと来たら、きっと、とんでもなくとか、はなはだしくとか、そういう規模になっていたに違いないのだ。

 それなのに……、
 最初から最後まで、気絶してしまっていた彼女。

 もったいないことをしたものである。

 とはいえ。
 あの風景――、
「長椅子の上で襲われる」の図、ではある。

 彼女の精神は、保たなかったことだろうとも思われて、
 遅かれ早かれ、気絶していたことだろうとも思われて、
 すなわち、結果としては、同じことだった、という見方も、できようか。

 何にしても。
 ――残るはひとり、である。

*

「じゃあ……、どりりん。あとは貴女だけ、ね。
 ほらほら、今までの経過は見てたでしょう? やること、判ってるでしょう?
 ちゃっちゃと済ませちゃおう?」
「――あのさ」
「何?」
「私、見てたわ、経過。確かに」
「そうでしょうとも」
「見てたわ、全部、何もかも、細大漏らさず」
「だから、そうでしょうとも、と」
「だから……、見てたのよ、私は」
「うん」
「……」
「……」
「……」
「それで?
 何が言いたいの? 何か疑問なの?」
「――あの、さぁ……」
「えぇ、えぇ」

「見てたんだってば、私は!
 最初から最後まで!
 あんたがクリスの頭の下から、膝枕にされてた脚を外したのも、
 クリスの手の中から、つかまれてた服のすそを抜いたのも、
 みんな見てたんだってば!」

「つまり?」

「なのにどうして今またあんたはクリスを膝枕しててしかもご丁寧に服までつかませてるのかって聞いてるのよ馬鹿!」

 ――そうなのである。
 すにこさんは、一旦はフリーになっていたというのに、何故か再び、ニーチェさんや私の身体測定をしていた時のような、クリスさんによる束縛状態に、戻ってしまっているのである。
 自発的に。

「それは要するに私にもニーチェたちと同じような目に遭ってもらうぞっていう、そういう意志表明のつもりってことなのか馬鹿!」
「うん」
「シンプルに認めるな馬鹿! 当たっちゃってたのか馬鹿!」

「だって……、
 確かに私は、この状態から脱出することができるわ。普通の身体測定をすることもできるわ。
 けど、ニーチェやすずめちゃんが既に、私は動けないと思い込まされて、あの恥ずかしいポーズをとらされる方の身体測定を、させられてしまっているのよ?
 なら、ここでどりりんばっかり、いくら私の脱出能力を知ったからといって、それをまぬかれようというのは、いかにも不公平ではないかしら。どりりんも同じく、恥ずかしいコトをされちゃうべきではないかしら」

「何が『べきではないかしら』よ馬鹿! ワケの判らんバランス感覚を養ってんじゃないわよ馬鹿!」
「ほらほら、何でもいいから……、早くする」
「良かないわよって話をしてるんでしょ今、馬鹿!」
「ほれ、苦しゅうない。近う寄れ」
「黙れ馬鹿! 何のつもりだ馬鹿!」
「悪代官」
「ストレートに返すな馬鹿!」
「ほらほらほら、いいからいいから、早く早く」
「2回ずつ言うな馬鹿!」
「『ほら』は3回言ったもんね」
「揚げ足とるな馬鹿!」
「……」
「……」
「……」
「って」
「……」
「な……、何よ」
「……」
「――何なのよ馬鹿、急に黙るな馬鹿、しゃべれ馬鹿」

「だって、しゃべるコト、ないし」

「……。
 ――何ですって」

「私には、もう、しゃべるコト、ない。
 ――私は、この場で言いたいことは、既に全部言った。
 今、言っておくべきことは、なくなった……、何にも。
 あとは待つだけ。
 あと、私にできるコトは、ただ、どりりんが、『どうぞ』っていうのを待つこと……、それだけ」

「な……」
「……」
「何を、勝手な……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「――じーっ」
「み……、見るな馬鹿。期待の視線を向けるな馬鹿」
「じぃいぃぃぃっ」
「口で言うな馬鹿」
「……」
「待つな馬鹿。待ったってムダよ馬鹿」
「……」
「ムダって言ってるでしょ馬鹿。判れ馬鹿」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……はぁ……」
「……」

「……いいわよ……」

「!」

「――違う! 待ちなさい馬鹿! 早とちりするな馬鹿! 勘違いするな馬鹿!」

「え……、
 ――だって、測っても『いいわよ』ってことじゃ……」

「じゃ、ないわよ馬鹿! そんなの承諾するはずないでしょ馬鹿!
『いいわよ』ってのは、測ってもらわなくても『いいわよ』の『いいわよ』よ馬鹿!」

「えー」
「――渡しなさい、巻き尺。自分でやる」
「ええー」
「何が『ええー』よ馬鹿。不満そうな顔するな馬鹿」
「ずるーい」
「ずるくないわよ馬鹿」
「ぶぅぶぅ」
「ブーイング送れる立場か馬鹿」

*

 すにこさんは、ちぇー、などとは言いながらも、わりと素直に巻き尺を巻き直しはじめる。
 小さくまとめて後、
「はーい」
 と、どりりさんに、それを差し出した。
 何ともいえず、つまらなさそうな口調で。

 けれども――。

*

 それは、自然な成り行きのはずだった。
 それは、事故のはずだった。
 それは、避けられない行動のはずだった。

 差し出された巻き尺を受け取ろうと、どりりさんが、彼女の方から、すにこさんの方へ、歩み寄ったこと。
 それをできるだけ早く引き渡そうとしてか、すにこさんの方からも、身を乗り出したこと。

 ――自然な成り行きだ。

 そうしたら、すにこさんのひざの上の、クリスさんの頭が、ひいては身体ごとが、危うく床へと転がり落ちそうになったこと。

 ――事故だ。

 わぁ、とすにこさんが慌てて座り直し、クリスさんの肩を押さえ、抱きとめたこと。
 どりりさんも、驚いて跳び上がり、そして、クリスさんを何とか受けとめられないか、とつんのめりつつ踏み込んでいったこと。

 ――避けられない行動だ。

 どこかに作意があったようには、私には、見えなかった。

 事態はそのように展開すべく、展開しただけ。
 そうとしか、見えなかった。

 それでも、

 ――けれども。

 しかし、それはあったのだろう。
 作意。
 罠を張ろうという意志は、
 そこに、
 間違いなく。

*

 間一髪、クリスさんを抱きとめたすにこさんは、慎重に、彼女をおなかの方へと引き寄せつつ、長椅子に座りなおしていく。

 張りつめた時間。

 そしてそれは、破られる。
 すにこさんのため息で。
 ほーっ、と深く、安心の。

 ――もう、大丈夫。

 見ていた私たちも、ため息だった。

 多重に響いたそれに、私たちは顔を見合わせる。
 何だか、笑った。

 すにこさんも、
 私も、
 ニーチェさんも、

 どりりさんも。

 ――すにこさんのサポートに回ろうとしたかたちになっているところの、どりりさんも。
 まずは、笑っていた。

 まずは笑ったどりりさんだったけれど、彼女はふと、はっとした顔になる。
 続いて見せるのは、いつもの怒ったような表情。

 おそらくは、「何やってるのよ馬鹿」とか何とか、言おうとしたのだろうと思われる。
 もちろん、すにこさんに。

 だが。
 当のすにこさんが先に、こんなことを言ったのであった。

 とっておきの秘密を、打ち明けようとする、その時みたいに。
 身を乗り出し、首を延べ、
 どりりさんに、顔を寄せて、

「ねぇ、どりりん……?
 ――近いね?」

 と。

 そう。
 今やふたりの間の距離は、かなり狭まっていた。
「顔を寄せ」ることができる、それくらいに。
「目を見合わせている」と表現するより、「額を突き合わせている」と表現した方が、より適切であろう、というくらいに。

 ここで、思い出していただきたい。
 どりりさんは、自分の方でもクリスさんをキャッチできないかとしたが故に、上体をかがめている、ということを。

 お辞儀するかのようにしている、ということを。

 ――まとめよう。
 つまり、全体として見ると、

 座って待っているすにこさん。
 彼女のそばに立ち、あまつさえ、上半身を捧げるように差し出しているどりりさん。

 そのように、なっている。
 なっている、のである。

 まるで、ニーチェさんや私の、身体測定の時の様子の再現だった。

「あ」
 認識したのか、どりりさんは、低い声をもらした。
 青ざめていく。

 ――作意なんて、どこにも見えなかった。

 にもかかわらず、
 どうなんだ、これは。

 すにこさんが望んだ通りのシチュエーションじゃないか。

 ――それでも、意志はあったのだ。
 ――間違いなく。

 そうでなくて、どうして、このかたちが完成する?

 それとも、すべて偶然の産物か?
 すにこさんはただ、ひたすらにラッキィなだけなのか?

 違う。
 それでは、以下のことに説明がつかない。

 すなわち、
 すにこさんの反応が、
 対応が、
 次の行動が、
 早すぎること。

 ――どりりさんが、
「っ!」
 跳び退き、距離をおこうとする。

 しかし、
 彼女よりも、すにこさんの方が、鋭い。

 すにこさんの手から、
 びゅっ、と投げられたもの、
 伸びていくもの、
 それは巻き尺、
 意志をもった、生き物みたいに、
 どりりさんを追尾し、
 どりりさんを包囲し、
 縛った、
 その胸のあたりを。

 最初から、何もかも、折り込み済み。
 そうとでも考えないと、説明のつかないスピード。
 そうとでも考えないと、説明のつかないテクニック。

 そんなイリュージョンを、
 椅子に座ったまま、
 ひざにクリスさんを載せたまま、
 披露した、すにこさんだった。

 にっこり、明るく微笑んで、
「バストボンデージ――、何ちゃって」

 どりりさんは、
「……???」
 目をぱちくり。口もあんぐり。
 びっくりしてる……、

 ――違う。

 どりりさん、震えだした。
 かたかた。
 ひざなんか、今にもくだけそう。

 あれは、怖がっている。
 おびえている。

 そんな恐慌状態に、どりりさんを陥らせている張本人だというのに、
 すにこさんの笑顔には、
 どこをどう見ても、暗い影のカケラもなくて、
 あくまでも、にこやかで、

 このひとって……、
 得体が知れない。

*

「どりりん? じゃ、おとなしくしててね? 測るから。
 もがいちゃダメよ?
 測れないし……、
 それに、そっちに引っ張られたりしたら、私、今度こそくりすけを床に落としちゃうから」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」

「――素直に、静かにしててくれてる分、かえって反発を感じる」

「――そうしろ、って言っておいて……、何よ。文句言うな」

「すねてる?」
「違う」
「怒ってる?」
「そう」
「私に?」
「自分に」
「それはそれは」
「――油断しすぎだわ、私。あんた相手だってのに、さ」
「まったく、ね。どりりんって、隙だらけ。つけこみやすい」
「言ってくれるわね。しかもド直球に」
「策を練るのとか、搦め手から攻めるのとか、腹をさぐりあうのとか、苦手なのよね、実は」
「……どの口で言うか、それを」
「あ、でも」
「?」
「まさぐりあうのは、好き」
「黙れ馬鹿」
「――お、やる気出てきたな。その調子その調子。どりりんは、そうでなくちゃ、ね」
「何よそれ。まさかあんた、私の理解者のつもりなのか馬鹿。あんたに私の何が判るってのよ馬鹿」
「少なくとも、胸囲が判るわね。そろそろ」
「判らんでもいいわい、そんなもん。馬鹿」
「――えー、では、どりりんのトップバスト……」
「大声で言うな馬鹿」

「――フムン」
「……」
「……」
「……」
「あー……」
「……」

「――えー、では次は、ウエスト、と……」
「待てこら」
「え?」
「『え?』じゃないわよ馬鹿。どうしてコメント抜きなのよ馬鹿」
「――いや……」
「それにどうして次、ウエストなのよ。アンダーは。アンダーバストはどこ行っちゃったのよ馬鹿」
「私としては、どりりんのトップバストこそ、どこ行っちゃったのかしら、と聞きたいような……」

「何つった今」

「何でもありません」
「嘘つけ馬鹿」
「――えぇい、ならばやむをえん、次はアンダーバストだ」
「『やむをえん』って何だ、どういう意味だ馬鹿」
「トップバストの記録欄にカーソルを合わせて、 ctrl+a-c, アンダーバストの欄に合わせて ctrl+v 」
「何よその呪文」