DOWN TO HEAVy greEN 17

■ レンジャー・すずめ(続き)

 ニーチェさんの身体測定が終わる。

 次は君の番だよ、という視線を私に送りながら、脇へと退いていく彼女――。

 瞳は、潤んでいる。
 ほおは、熱そうに火照っている。
 耳までも、赤く染まって。
 呼吸は、荒い。

 それらの症状が、ただ単に、疲労に由来するだけのものであれば、平和だったんだけど……。

 そうでもなかったりするのである。
 平和じゃないのである。

 ――いや。
 基本的には、そうではあった。
 平和ではあった。

 ニーチェさんの身体測定風景は、おおむね、きゃっきゃきゃっきゃと騒がしく、賑やかで、明るいものだったのだから。
「疲労」と述べたのも、「あれでは、疲れちゃうだろう」と、そういう意味でのものだったのだから。

 平和で、あったのだ。

 しかし。
 そうではないシーン、基本から外れたシーン、平和とはいえないシーン――もまた、確かにあったのであって。

 例えば、ウエストの時など。
 バストの時よりも、さらに大騒ぎだった。

 無理もない。
 何しろニーチェさんの格好は、おなかのあたりを丸出しにするものなので。
 肌に巻き尺が直接当たるものなので。

 それはそれは、冷たかったことだろう。
 くすぐったかったことだろう。
 刺激的だったことだろう。

 それで、
 ついつい、呼吸を止めてしまったりしたのだろう。
 溜めていた息を吐き出したら、思いがけず、熱いものになってしまったりしたのだろう。
 際どい声を漏らしてしまったりも、したのだろう。

 その情景――。

「けしからん」であった。
「いいのか!?」であった。
 どきどき、であった。
 はらはら、であった。

 ニーチェさんの見せるあんな症状は、そうした危うさに引き起こされたものであった。
 平和じゃないのであった。

 そして。
 それを、
 そんなことに、なるだろうことを、
 そんなことに、なってしまうだろうことを、

 私は、予測していた。

 ――何故って。

 だからこそ、私は宣言したのだ。
 描写を放棄する、と。
 省略する、と。

 書けないだろうし。
 捉えきれないだろうし。
 それどころじゃなくなっちゃうだろうし。

 何より――。

 私は歩む。
 保健委員・代行さんの前へ。
 すにこさんの前へ。

「じゃあ、すずめちゃん」
 彼女は微笑する。
 彼女の微笑は、いつだってとびきりだ。

「はい……」
「ニーチェの、見てたよね? あんな感じで測ってくから、よろしく」

 ――何より。
 ニーチェさんのことばかり細かく書いておいて、自分のこととなったら口をつぐんでしまう、というのは、いかにも不公平ではないか、と思ったから。

 大変な状態に陥っていくニーチェさんの姿を、私は、書かなかった。
 だから私も、同じようになるだろう、自分の姿を、書かない。

 うん。
 そういうことで。
 素材の取捨は、レポータの特権ということで。
「レポータならレポータらしく、自分のことも客観視して、書いていくべきではないのか」という声は、黙殺する方向で。

 あ。
 でも。

「――む……、すずめちゃんも、実はそこそこ?」
「え……、えぇと……」
「着やせするタイプ、か……」
「お、おそれいります」

 都合のいいところだけは、書いておこう。
 そう。
 特権だから。

 うん。
 そういうことで。

*

 私の測定も終わった。

 私は、すにこさんの前を離れる。
 ニーチェさんの隣まで歩いた。

 そうすべきだ、みたいな気がしたのだ。
 何故だか、何となく。
「身体測定」という言葉のせいだろうか。

 ――自分の番が終わったら、既に終わっているひとと並び、静かに待っていること。

 約束。きまり。ルール。

 ニーチェさんと横列を作るように、立つ。
 顔は合わせないようにしていた。

 そうしにくかったのだ。
 自分がどんなコトになっているのか、自分で判っていたから。
 さっきのニーチェさんのコトを思い出し、自分の姿に置き換えて、想像してみるまでもなく。

 けれども、
 視線を感じてしまう。
 ほおに。
 敏感になっている肌に。

 見ると、
 果たして、私を見ているニーチェさんだった。

 彼女は、特に何も言いはしなかった。

 ただ、
 照れるような、
 肩をすくめるような、
 それでいて、面白い悪戯を考えた時のような、
 えへへ、と、
 やれやれ、と、
 にひひ、と、
 それらを混ぜこぜにしたような笑みを、送ってくるだけだった。

 私は、
 ――私も、
 今この場には、そんな形の笑みこそが、ふさわしい。
 そう思って、
 それを返し、
 そして、気づいた。

 ――これは、
 ――共犯者意識?

 どちらかといえば、私たちは、されちゃった方である。
 しちゃった方ではない。

 だけど、
 そうであっても、なお、
 それだ、と思った。

*

 さて。
 ふたり、まだ残っている。

 どうするのかな、次は誰かな、とすにこさんを眺めていると、彼女は動いた。
 ひざの上のクリスさんの、頭に手を添え――、

 あ。

 軽く持ち上げた。
 そうしつつ、おしりで横へスライド移動。

 頭の下から、脚を抜いてしまった。

 しかも。
 どこをどうしたものか、いつの間にか、すにこさん、クリスさんの手も、すそから外してしまっても、いるのである。

 あの手。
 小さくはあっても、しかし、すにこさんの服を握る力は、しっかりとしたものだったというのに……。

 驚きだ!

「えええ」
 驚愕の声が、私の横でも挙がる。
 ニーチェさんだ。
「い、今の何」
「縄抜けの手品みたいでしたね……」
「ど、どうやったのかなぁ……。
 ――っていうか」
「『ていうか』?」
「だまされてたんだよ僕たち!
 すにこってば、今みたいなことができるのに、動けないフリして、それをいいことに、僕たちにさんざん恥ずかしいポーズを! 胸とかおしりとか、差し出させて!」
「――あ」
「許すまじ小笠原すにこ!」

 激昂するニーチェさんだった。

 測定中の彼女の様子は、私には、ずいぶん楽しそうにしてるように見えていたんだけれど、本心のところでは、そうでもなかったらしい。

「うーん……。
 まぁ、実際、そうでもなくもなかったりするんだけどさ。
 ドキドキするよね、ああいうのって。ちょっといけないコトしてる感じがして」

 にひ、と笑うニーチェさんだった。

 ――左様ですか。

 さておき。
 すにこさんである。

 今やすにこさんは、すにこさん・スタンドアロンである。
 自由に、軽快に、動いている。

 立ちあがりながら、回れ右、
 長椅子に向き直り、
 その上で眠るクリスさんに、向き直り、
 ひざを曲げ、
 足を上げ――、

 椅子に登った。
 クリスさんに登った。

 すにこさん、クリスさんに馬乗り。

「えええ」
 と、またニーチェさんは叫ぶ。

 だが、
 これは時期尚早というものだった。

 何故なら――、
 すにこさんの所業は、それで終わりでは、それだけで終わりでは、なかったのだから。

 すにこさんは、
 なんと、
 さらに、
 クリスさんに覆いかぶさったのだった。
 覆いかぶさって、何か、もぞもぞしているのだった。

 このシーンだけを切り出したら、
 金髪の女性パラディン、栗毛のメディック少女を襲い、長椅子に押し倒し、抱きしめている図。
 ――それにしか、なるまい。

「ええええええ」
 と、またまた――そう、さっきは早すぎた。ここぞそうするべき、正しいタイミングだ――叫ぶニーチェさんだった。「いいのかな!? いいのかな、あれ!? おっけーなのかな!?」

 私に聞かれても。

「すにこってば、ケダモノだよ! パラディンなのに! こんな明るい内から! 外で! 店先で! 人前で!」

「――これこれ」
 よっ、という掛け声とともに、起きあがるすにこさん。上半身をひねって、私たちの方を振り返った。「ひと聞きの悪いことを言うものじゃない」

「だって!」
 興奮醒めやらぬ口調のニーチェさんであるが、そんな彼女にすにこさんが、
「ほら」
 と軽く振り動かすことで、示したのは、
 ――自身の両手、
 だった。

 それらは、ものをつまんだ形を、していた。
 その指先から、クリスさんの身体へ延び、わきの下へと消えていっているものが、あった。

 ――巻き尺。

「測ってるだけだってば」
 それはそれで、問題があるんじゃなかろうか、ということを、さも当然のことのように言うすにこさんと、
「あぁ……、なーんだ」
 しかし、それだけで簡単に納得し、誤解か、あはは、とばかりに頭を掻くニーチェさんだった。

「僕ってばてっきり――」
「『てっきり』?」

「いや、てっきり僕、すにこのことだから、クリスちゃんが寝てるのをいいことに、悪戯を始めたんだ、って思っちゃってさ。
 びっくりしたなぁ、もう」

「……明るい笑顔で、衝撃の内部評価を開示してない?」

                        (まだ続く)