DOWN TO HEAVy greEN 10

■ ダークハンター・どりり・りり(続き)

 馬鹿は、しばらくの間、ぽかーん、としていた。

 ところで。
 食堂なんかのガラスケースには、メニューの見本としてロウ細工が飾られているものだけど、もしも、どこかに馬鹿の見本というものを飾ることになったとしたら、今のこいつのこの姿こそ、ロウ細工のモデルにもっともふさわしいだろう。

 ――そんなものを飾りたがるひとが、一体どこにいる、という問題はあるにしても。
 ――まぁ、たとえ話であるからして。

 閑話休題。
 要するに、そんなことを思わせるくらいに、いっそすがすがしいくらいに、馬鹿の表情はマヌケだったのだ、と主張したい私なのである。

 さて。
 ぽかーん、としていた馬鹿は、ふと、ぱち、ぱち、と大きくまばたきをした。
 そして、
「ぷ」
 吹き出し、
 くすくす笑いを始め、
 どうやら、それを抑えようとしているらしい素振りを見せ、
 しかしできず、咳きこみ、
 ついには、
「あはは」
 声を挙げた。

 何だか知らないけど、私が、笑われているようだった。
 面白くない……。

「何よ……」

 馬鹿は――、
「キツネ」の手を開いた。
 平手。
 それを、自分の顔の前で、左右に振った。
「いやいや、いや」
 目尻に涙なんか浮かせつつ、である。幸せなやつだ。馬鹿。
 で、
 続いて、
「もう……、ヤだ」
 と上下に振った。「どりりんってば」

 招き猫みたいな感じだった。
 おばさんくさい感じでもあった。

 また結局のところ、笑いっぱなしでもあった。

 こらえようと頑張る、その努力は、見てとれるものの……、

「ぷふ、くす、あはは」

 かなってはいないのであった。

「どりりんって言うな馬鹿。笑うな馬鹿。説明しなさい馬鹿」

 何なのよ、馬鹿。

*

 おなかの中に笑いグセがついてしまったのか、ケイレンの余韻を残しながらだったけど、
「言葉が足りなかったかな――」
 馬鹿は解説を始めた。
「『敵を追い払う』っていうのは、『取るに足らない敵を、追い払う』って意味だったんだけど」

 ――あぁ。
 それなら判る。
 納得。

 けど、
「最初からそう言いなさいよ馬鹿。そういうことなら判らなくもないわよ馬鹿。さっきのじゃ、言葉、足りなさすぎるわよ馬鹿」
 コメントは、そういうことにしておく。

*

 馬鹿の解説は続く。

「騒ぎに驚いて逃げるような相手なら、戦うまでもないわ。足しにもならないもの。
 私たちが倒すべきは、『それでも、向かってくる』敵だから」

「ふーん」
 ちょっとだけ、感心する私だった。
 あくまでも、ちょっとだけ、だけど……。
 見かけによらず、言動にもよらず――つまり、全体的な印象とは裏腹に、わりとシヴィアなところもあるのね、この馬鹿、と。

 すると、馬鹿のやつ曰く、

「それじゃあまるで、私、全体的にはアタマゆるゆるで、何か抜けてるひと――みたいじゃない」

 コレである。

「その通りでしょ馬鹿」
「どりりんのジョークって、キツいわー」
「ジョークじゃないわよ馬鹿」
「あはは」

 聞いてないし、効いてない馬鹿だ。

 疲労感。
 というよりは、徒労感。
 肩が落ちる。

 肩を落としていると、でも、と馬鹿が言った。
 顔を挙げる。

 そうしたら、
 なんと、
 驚くべきことに、馬鹿のやつめ、

 納得いかない、という表情を浮かべているのである。

 生意気な……。
 馬鹿のくせに。

「何よ」
 聞いてやってみれば、

「普通、判らないかな? 経験値稼ぎしようとしてるのに、敵を全部追い払おうとするはず、ない――って」

 と来るじゃないか。

 ……。
 こいつ……。
 自分が「普通」だと思ってるらしい。

 言ってやらなきゃダメか。判らないか。

「そりゃ、普通なら判るわよ、普通なら」

 皮肉なニュアンスをたっぷり込めて、送りつけてやったら、
 馬鹿のやつ、

「つまり」
「『つまり』?」

「つまり、どりりんは普通じゃない……?」

 こんなことを言うのである。
 私は転んだ。

 何そのプラス思考。

 ――気をとり直して……、

「どうしてそこで自分に都合良く解釈しちゃうのよ馬鹿。そうじゃないわよ馬鹿」
「だって……」
 馬鹿は不満そうだった。
「『だって』、何よ馬鹿」
 なので私は、異議くらいは聞いてやろうとして、

 それが間違いだった。

 馬鹿は数学教師のような口調になって、言ったものである。

「大前提、『普通なら判ることである』。
 小前提、『どりりんには判らなかった』。
 結論、『どりりんは普通じゃない』。
 ――きゅーいーでぃー」

 な――。

「何が QED よ馬鹿! 要らん三段論法を構築するな馬鹿!」

*

「――普通じゃないのはあんたの方よ馬鹿。私だって、相手があんたでなかったら、勘違いなんかしなかったわよ馬鹿。わざわざ説明されなくたって、『あぁ、弱いやつが出ないようにしようとしてるんだな』って判ったわよ馬鹿。けどあんたが相手となると、勘違いだってしたくもなるというものなのよ馬鹿」

 一気に言って、険のある――あるっていうか、丸出しの。葉っぱの一枚くらいなら軽く射抜かんばかりの熱量を持っている――視線を、ぶつけてやる。

 でも、馬鹿には通じなかった。
 馬鹿はあくまで、にこやかだった。

「それじゃあまるで、私、普段からロクでもないことばかりしてて、そのせいで、たまにマトモなことをしても、さながらオオカミ少年のごとく、周囲に信用されないひと――みたいじゃない」

 コレだ。

 ……。
 こいつ……。
 まさか判っててやってるのか。

「だからその通りだと言ってるでしょ馬鹿。そこまで的確に自己分析ができてるなら何とかしなさいよ馬鹿」

「どりりんのジョークって、やっぱりキツいわー」
「ジョークじゃないってのよ馬鹿」

 ぐったりだ。

*

「――ま、何にしても……」
 総括、というような口調で、馬鹿は言った。「どりりんも、作戦自体には納得してくれたみたいだし、じゃあ、続けようか」

 茂み叩き棒を振り振り、歩き出しかける。

 私は――、
 まぁ、一応、納得はしていて、
 それでいて、
 まだどうも、どうにも、どこか、何だか腑に落ちない気もまた、していて、
 ――そうだ。
 その原因に思い当たって、
 そこで、馬鹿の背中に、異議を申し立てようとして、

 その前に、
 私が何も言わないうちに、馬鹿は足を止めた。

「……何よ」

 いぶかしい。
 聞く。一旦、発言は棚上げだ。

「ん……」

 馬鹿が、こちらを振り返った。

 馬鹿と私との間には、距離がある。
 空間がある。

 それを隔てて、馬鹿は私を見ている。

「……何なのよ」

 馬鹿は――、

「――逃げる相手と戦う必要はない。向かってくる相手こそ、戦って倒し、糧とするべき相手」

 そんなことを言い出した。
 まるで、さっきまでのおさらいをしよう、というかのように。

「でも、だからといって」

 馬鹿はそこで、言葉を切る。
 視線を横に流して、

「真っ向勝負をするつもりは、ないの。
 ……ムジュンするようだけど、ね」

 何だか釣られてしまって、私もそちらを見る。

 茂み――。

「だって、危険は危険に違いないもの。口では立派なコトを言ってはいても、私たちは所詮、初心者にすぎないんだし?」

 私は視線をそこから外せない。
 馬鹿の声だけを耳に聞く。

「だから、茂みを叩くのは」

 視界の端で、何かが動く。
 棒。
 馬鹿の持っている棒。
 その先っぽ。

「気の弱い敵を、あらかじめ排除するため、と、
 気の強い敵を、刺激し、私たちに立ち向かわせるため、と」

 馬鹿が棒を振ろうとしている。

「それから」

 振った。
 茂みに当たった。

 茂みが揺れた。

「向かってくる敵を、怒らせるため」

 茂みから黒いカタマリが飛び出した。

*

 私は思わず、一歩、引く、
 きゃ、とかいう声が、漏れたかもしれない、

「冷静さを奪ってしまえば、そいつの攻撃の軌道は、どうしたって、直線的になるでしょう?」

 馬鹿の声が、遠くに聞こえて、

 カタマリはまっすぐ、
 こちらに向かって飛んでくる、

「そんな攻撃なら、あらかじめ読んでおくのはたやすい」

 カタマリは、腕を、
 ――そう、あれは腕だ。
 腕を振りかぶっていて、

「先手を取るのは、たやすい」

 その先には手、
 その先には指、爪、
 カギ爪、

「万一、突然襲いかかられた形になったとしても」

 カギ爪が振り下ろされる――、

「後の先を取り返し、戦闘の主導権を握り返すことさえ」

 びゅっ、
 空気を斬り、裂き――、
 貫く音、

「また、たやすい」

 空中にあった黒いカタマリが、
 そこから、
 消えた、
 もぎとられるように、
 なぎ倒されるように、
 叩き落とされるように、

 撃墜――、

 私は下を見る。

 黒いカタマリ……、

 ――元・黒いカタマリ、か。

 モグラの一種だった。
 矢が1本、突き刺さっていて、
 もう、動かない。

 あぁ……、
 と思った。
 こういうのを撃墜というんだな、と。

 矢の刺さり方から判断して、私はその射手を捜す。

 少し離れたところにいた。
 レンジャー。

 彼女は……、
 すずめ、って言ったっけ。名前。

 矢を放った姿勢のままだった。
 弓を構えたままだった。
 私の視線に気づいたせいなのどうか……、それで初めて、力を抜いていた。
 照れ笑いのような顔になっていた。

「――陣形名」

 馬鹿の声、
 私は馬鹿の方を見る。

「フォーメーション・ストーンヘンジ。
 腕のいいレンジャーがいると、こういうことができたりして」

 馬鹿は微笑していた。

 私は――、
 この馬鹿を、

 怖い、

 と思った。

 だって、
 こいつ――、

 一歩も動いてないじゃないか。

 モグラが飛び出してきたのに。
 矢が飛んできたのに。
 それなのに。

「これが、歌って騒いでいたことによる、実際の効果」

 まったく、動じていない。
 それどころか、笑っている。

 笑って――、

「この結果を見ても、なお、疑問の余地はある……、かな?」

 そんなことを聞いている。

 何だ……?、
 何なんだ?、こいつ、

 この馬鹿は、一体何だ?

「私たち、そろそろ、合意に至れないかな?」

 馬鹿は待っている。
 私の返事を。

 私には言葉が見つからない。

 けど、何かは、言わなきゃいけない。

 そうだ。
 言わなきゃ。
 何か言わなきゃ。

 でないと――、

 私の負けだ。
 このままじゃ、一方的に。

 それはイヤだ。

 負けるなんて。
 為す術もなく、負けるなんて。
 イヤだ。

 私は結んでいた唇を解く。
 小さく口を開いて、
 なのに、
 言うべき言葉は、見つからない。

 何か……。

 ……。

 ――待てよ?
 私って、こいつに何か言おうとしてたんじゃなかった?
 こんなことになる前に。

 そうだ。
 そうだったはずだ。

 異議が、あったはずだ。

 だったら、それを言えばいい。

 じゃあ……、
「それ」っていうのは、どんなこと?

 ……。

 ――ダメだ。
 記憶の底に、沈んでしまったみたいだ。
 浮かんでこない。
 思い出せない。

 どうしよう……。
 どうすればいい?

 私は困った。
 私が困っていると――、

 馬鹿が、すうっ、と、その表情から笑みを消した。

 目を細めて、厳しい顔で、

「どりりん……、それはダメ」

*

「え?」
 ここにきて、やっと、発するべき言葉を見つけることができた私だ。
 たとえ、疑問の一音でも。
 全然、有効なものではなくても。
 言葉は言葉だ。

 だけど、
 ひとまず安心、とまではいかない。
 むしろ不安は増すばかり。

「『ダメ』……?」

 何が?
 何のこと?

 馬鹿は私をにらんでいる――、

 違う。
 そうじゃない。
 あれはただ、見ているだけ。

 見透かしている、のだ。

 何を?
 私の何を?
 私は、何を、見透かされてる?

「ダメ」
 馬鹿はうなずいた。「……そんなコト言っちゃ、ダメよ」

「そんな……コト?」

 どんなこと?
 私が、何を言おうとしてるって?
 自分でも、正答を見つけられていないっていうのに?

 どうしてそれを、この馬鹿が見透かせる?

 馬鹿は――、
 困ったような、たしなめるような、そんな笑い方をして、

「ダメよ」

 くりかえして、
 そして不意に、ひときわ大きな声量で、

「『すずめちゃん……、居たんだ?』なんて言ったら?」

 と――。

 ……。

 え。
 と思った。

「え」
 と声にも、出た。

 馬鹿の言動。
 意味するところが判らなくて、

 ……。

 理解するのに、
 時間がかかって――、

 理解した。

 待て。

 ちょっと、
 ちょっと待て。
 待て待て待て、待て!

「待ちなさい!」

 馬鹿は聞かなかった。
 馬鹿は首を振った。
「いくらなんでも、それはヒドいと思うな……」

「待てと言ってるでしょ馬鹿! 何!? 何なのよそれは!?」

 馬鹿はまたも、聞かなかった。
 馬鹿はため息をついた。

 それから視線を、ちらっ、と横に。

 その先にあるもの――。

 私には見当がついた。

 想像するだに、つらいもの。
 できることなら、見ずに済ませたいもの。
 避けて通りたいもの。

 そういう類のものがある、と。

 それでも――、
 そうするわけには、いかないんだと、

 そういうことも、私は知っていた。

 覚悟を決める。
 見る。

 そこには、

 すずめ。

 しゃがんでいる。
 こちらに背中を向けて。

 背中。
 何だかとても痛々しい空気が発せられていて――。

 予想していたのに、
 心の準備はできていたはずなのに、
 にもかかわらず、

 ショックだった。

「あ……」

 おなかに来たのは、圧倒的な罪の意識。
 どーん、と重い。

 私の目は釘付けにされてしまった。
 私の意識は釘付けにされてしまった。
 悪い意味で。

「あーぁ……」
 耳に届く、馬鹿のつぶやき。「傷ついちゃったよ、すずめちゃん」

 え。
 馬鹿を振り返ろうとして、視線を外せない。

「ヒドいなー、どりりん」

 え。
 頑張って、何とか、顔を馬鹿の方に向けて、
 しかし、目がついてこない。
 元の場所を見たまま。

「ヒドいなぁ、どりりん」
「ですね、どりりんさん」
 ニーチェと、くりすけの声が、同調して、

「そんな……」

 私は呼吸が苦しくなる。
 そのままでは、空気を吸えない。そんな状態異常。

 手で口元を押さえて、
 それがフィルタ、
 それで少しは楽になって――、

 ふと、
 悟った。

 口元の手を、ゆっくりと、外してみる。
 降ろしてみる。

 ――うん。
 大丈夫だ。

 フィルタなんて、必要ないんだ。
 最初から。

 何故って、
 私、

 すずめを傷つけるような発言、してないし?

 私は、降ろした手を、握った。
 グーにした。

 グーにして、
 再び、顔のところまで、持ち上げた。

 顔には、微笑を浮かべる。
 逆に。

「判った――」
 馬鹿が、重々しく言った。

「私が悪かったと認めるから、せめてグーは止めていただきたい」

「――却下よ、馬鹿」

                  (もうちょっとだけ続く)